もうしにゃ。
孟子・尽心上篇に曰く――。
公孫丑が聞きました。
「先生、「詩経」に
不素餐兮。
素(むな)しくは餐(くら)わず。
働かずにメシを食うことなんてことはなさらない。
という言葉がございますよね」
孟子答えて曰く、
「うむ、有るのう」
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詩経・十五国風のうち、魏風(魏の国ぶり歌)に「伐檀」(檀の木を切る)という詩がありまして、
かん・かん、と音を立てて檀の木を切り、
これを河の干(岸)に置く。
河の水は清らかにさざなみを立てている。
(こうやって伐った木でお偉い方の乗る車を造るのだ。)
不稼不穡。
稼さず、穡(しょく)せず。
耕して種を植えることもせず、刈り取ることもせず。
(なのにお偉い方よ)
胡取禾三百廛兮。
胡(な)んぞ禾を取ること三百廛(テン)なるや。
どうして稲を三百廛も得ることができるのじゃ?
※「廛」は「店」ですが、周礼・地官の遂人条に
夫一廛、田百畝。
それ一廛は田百畝なり。
えー。一廛というのは田百畝のことでしてな。
という記述がある。周代の「畝」は10歩×10歩=100歩のことです。
ところで、ゲンダイは「一歩」というのは片足を動かさずに別の足を前に出す、のが「一歩」ですが、これは漢字では本来「止」であり、「歩」は片足を前へ出し、さらにもう一方の足も前に出す、ゲンダイでいう「二歩」のことである。周代の「歩」はまさにひとが一歩(すなわち現代の二歩)歩いた距離のことで、だいたい1.2メートル。一畝はその10倍×10倍なので
=120平米
・・・にはなりません。144平米ぐらいになるはずですね。
「一畝」は約1.4アールぐらいの広さを言い、「百畝」は約1.4ヘクタールである。これが「一廛」であり、周礼の鄭玄の注によればこの「廛」は「居」の意味である、という。すなわち、一人の農夫が自分のものとして耕作する広さ、のことだということである。
ここで、やっと詩の「三百廛」に戻ります。
「三百廛」というのは、420ヘクタール、300世帯の農家の耕す農地のことであり、そこから上がってくる収穫のことである。
不狩不猟。
狩せず猟せず。
冬の狩猟(「狩」)もしなければ、夜の狩猟(「猟」)もしない。
(なのにお偉い方よ)
胡瞻爾庭有懸貆兮。
胡(な)んぞ爾の庭に貆(かん)の懸くるを瞻(み)る。
どうしておまえさんの家の中庭には、(獲られた)タヌキが吊るしてあるのじゃ?
彼君子兮、不素餐兮。
かの君子や、素餐せず。
あのお偉い方は、働かずにメシを食うなんてことはなさらない(であろうに)。
・・・・以上は「伝統的な」理解に基づいて訳してみました。「伝統的な」理解というたのは、「毛序」(詩経の各編に漢代の注釈者・毛氏がつけた解説)の理解であり、
伐檀(の詩)は、貪(むさぼれ)るを刺す(批判する)なり。
とあるのに拠ったのである。現代の注釈者も「この一首は搾取するものが労働せずに獲得するのを諷刺する詩である」としている(程俊英・蒋見元「詩経注析」(1991)上・p300)。
一方、南宋の朱晦庵は、「伐檀」について
此詩専美君子不素餐。
この詩は専ら君子の素餐せざるを美とするなり。
この詩の主題は、立派なひとは働かずにメシを食うことはしない、ことを言うのである。(そういう立派なひとのために檀の木を伐って車を造る労働の喜びを歌っているのだ。)
と理解して(「詩集伝」)、「伝統的な」理解に真っ向から対立した。
わたくし自身は、この詩は収穫の祭における音楽劇の歌謡ではないかと思っているが、断言するすべを持たない、というか断言はいくらでもできるのですがわしが断言したところでだから何だ、ということなので、とりあえず仮説として提示だけしておいて、放っておきます。
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さて。
やっと「孟子」に戻ります。
孟子が「おう、有るのう」と答えたのを受けて、公孫丑、すかさず質問した。
君子之不耕而食、何也。
君子の耕やさずして食らう、何ぞや。
現代(←もちろん当時=紀元前4世紀の)社会では、位のある立派な方々が自ら耕作せずにメシを食っておる。これはどうしてでしょうか。
(先生、あなたについても、この騶の地も隠棲して、何かの仕事をしているというわけでもないのに顧問みたいな形で食録を得ていますが、それでいいのですか。)
こんなことを言われましたら、負けん気の強い孟子のことですから、
「な、なんだと!」
と怒り出しそうなものですが、怒り出しはしません。なぜなら、これは「やらせ」の質問だからで、「孟子」の書には、弟子にやらせの質問をさせて孟子が答える、というタイプの問答がやたらに多いのですが、その一つであるからです。
「いや、公孫丑よ、きみの考え方は間違っておるぞ・・・」
と孟子は落ち着いて回答をし始めた・・・のですが、げげ。もうこんな時間なのだ。ので今日はここまでとします。