令和2年9月25日(金)  目次へ  前回に戻る

チキンを平気で食べる野郎がいるとは、チキン野郎の面汚しである。

昼食ったとりなんばんそば美味かった。

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チキンのすごく好きなひとはいます。大昔にもチキンの大好きな王さまがいた。

善学者若斉王之食鷄也。

善く学ぶ者は、斉王の鷄を食らうがごとし。

よく勉強するひとというのは、むかしの斉王さまが大好きなニワトリを食べるときと同じだ。

斉王さまがニワトリを食べるときは、

必食其跖数千而後足。雖不足猶若有跖。

必ずその跖(せき)数千を食らいて後足る。足らずといえどもなお跖有るがごとし。

「跖」は「足の裏」。ニワトリの足のモモでなくてその先を言います。「数千」は「数十」の誤まりだという説があります。「数千」だと食べ過ぎですよね。また、「不」の字は衍字(後から間違って入ってしまった要らない文字)だという説があります。確かにそうしないと意味が通らないように思われますので、「千」を「十」に、「不」の字を削って、改めて読み下すと、斉王は、

必ずその跖数十を食らいて後足る。足るといえどもなお跖有るがごとし。

必ず数十の鶏脚を食べて、やっと満足した。満足しても、それでもまだ鷄脚があるのではないかと探し求めた。

のだそうです。勉強は嫌いですが、確かに一定のことについてマニアックに勉強するのがスキな人であれば、「ああずいぶん勉強したなあ」と満足してても、なお「もっと知識がないかなあ」と常に求めるものでありましょう。

「そんなにまでして勉強して、何になるのであろうか?」

もっともな疑問ですね。だが、

戎人生乎戎、長乎戎而戎言。不知其所受之。楚人生乎楚、長乎楚而楚言。不知其所受之。

戎人の戎に生じ、戎に長じて戎言す。そのこれを受くるところを知らず。楚人の楚に生じ、楚に長じて楚言す。そのこれを受くるところを知らず。

西域のひとが西域のひとの中に生まれ育って、西域のコトバを話す。誰に習ったのか考える必要もない。長江流域のひとが長江流域のひとの中に生まれ育って、長江流域のコトバを話す。誰に習ったのか考える必要もない。

しかし、

今使楚人長乎戎、戎人長乎楚、則楚人戎言、戎人楚言矣。

今、楚人をして戎に長ぜしめ、戎人を楚に長ぜしむれば、すなわち楚人は戎言し、戎人は楚言せん。

かりに、長江流域のひとが西域で育ち、西域のひとが長江流域で育てば、その長江流域のひとは西域のコトバを話し、西域のひとは長江流域のコトバを話すであろう。

由是観之、吾未知亡国之主、不可以爲賢主也。

これに由りてこれを観れば、吾いまだ亡国の主の、以て賢主と為すべからざるを知らず。

このことを敷衍すれば、わしには、国を滅ぼしてしまうような暗愚な君主も、(勉強することによって)賢く能力のある君主になることができる、と思えるのである。

↑二重否定なんで肯定にして訳してみました。

だが、単に勉強好きだというだけで賢主になれるわけではない。君主には学ぶべきことがあるのである。いったい賢主になるためには、何を学ばなければならないか。

天下無粋白之狐、而有粋白之裘、取之衆白也。

天下に粋白の狐無く、しかれども粋白の裘有るはこれを衆白に取れるなり。

この世には、純白のキツネはいない。ところが、この世には、純白のキツネの毛皮の上着というものが存在する。これは、キツネはみな腋の下に白い毛が生えており、多数のキツネのこの白い毛を集めて作られたのである。

このように多数のものを集めれば、いろんなものに優ることができるということを、君主は学ばねばならないのだ。

以衆勇無畏孟賁矣、以衆力無畏乎烏獲矣、以衆視無畏乎離婁矣。以衆知無畏乎堯舜矣。夫以衆者此君人之大宝也。

衆勇を以てすれば孟賁(もうほん)も畏るる無く、衆力を以てすれば烏獲(うかく)も畏るる無く、衆視を以てすれば離婁(りろう)も畏るる無く、衆知を以てすれば堯・舜も畏るる無し。

多数のひとの勇気をこぞって当たれば、勇者・孟賁(もうほん)も畏れることはない。

多数のひとの力を集めれば、千鈞のモノを持ち上げたという怪力・烏獲(うかく)も畏れることはない。

1鈞=7.8キロなので、千鈞は7トン800キログラム。烏獲はすごい怪力であった。

多数のひとの視力を集めれば、一里先から針の先を見分けられたという離婁(りろう)も畏れることはない。

多数のひとの知恵を集めれば、無為にして治まったという賢者・堯や舜も畏れることはないであろう。

なのじゃ。

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「呂氏春秋」孟夏紀第四より。でも衆力とか衆知とか、集めたら仲間割れしはじめるからなあ。

 

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