秋の寄せ鍋ゲーム用キャラクター、最後は「へいけくん」。元貴族だが貧しいのでしおからでも何でも食べるが、カニはダメ。赤飯など赤いものは好き。
なんと、昨日は電波の調子がよかったのか、アップできてしまいました。「尹山人伝」はあと三回か四回分はあるんですが、毎日毎日古典も読まずにこんな稗史小説の類ばかりを読んでおるとは! とばれるとまずいかも知れん(ことなんか何もないのですが)ので、今日はむかしの本を使って智慧のあるところを見せておこうと思います。。
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善釣者出魚乎十仭之下。餌香也。 善く釣る者は魚を十仭の下より出だす。餌の香ばしきなり。
善弋者下鳥乎百仭之上。弓良也。 善く弋(いぐる)みする者は鳥を百仭の上より下す。弓の良きなり。
釣りの上手な者は、魚を15メートル以上深いところから釣り上げる。使っているエサがいいのだ。
いぐるみの上手な者は、鳥を150メートル以上も高いところから引き落とす。使っている弓がいいのだ。
戦国時代の一仭=七尺で、一尺≒22〜23センチ、なので、それで計算しました。しかし暗算能力が低下しているので間違っていたら申し訳ありません。なお、「いぐるみ」は、矢にひもをつけて弓で飛ばし、鳥などの獲物を矢につけたひもでくるみこんで捕らえる技術です。
同様に、
善為君者蛮夷反舌、殊俗異習、皆服之。徳厚也。
善く君たる者は蛮夷反舌し、俗を殊にし習いを異にするも、皆これを服す。徳の厚きなり。
善き王者は、野蛮人や非文明人で、舌をひっくり返したようなコトバをしゃべり、(文明人とは)風俗も習慣も違っているようなやつらをも、みな心服させる。その徳が篤いからである。
というように、人の上に立つ者は徳が大切なんですじゃよ。ほっほっほ。
え? これだけでは智慧があるかどうかわからん?
それでは、
水泉深、則魚龞帰之。 水泉深ければ、魚龞(ぎょべつ)これに帰す。
樹本盛、則飛鳥帰之。 樹本盛んなれば、飛鳥これに帰す。
庶草茂、則禽獣帰之。 庶草茂ければ、禽獣これに帰す。
人主賢、則豪傑帰之。 人主賢なれば、豪傑これに帰す。
泉の水が深ければ、魚やすっぽんがそこにやってくる。
樹木が盛んに伸びていれば、飛ぶ鳥がそこにやってくる。
多くの草が茂っていれば、雉など地上の鳥や獣はそこにやってくる。
君主が思慮深いひとであれば、立派な臣下がそこにやってくる。
故聖王不務帰之者、而務其所以帰。
故に聖王はこれに帰するものに務めずして、その帰する所以を務むるなり。
それゆえに、偉大なる王者は、立派な臣下が自分のところにやってくるように努力するのではなく、かれらが自分のところに来てくれる理由である「思慮深さ」を得ようと努力すべきなのだ。
揮毫を求められたときに、「鱉」の字は難しいので、二行目の「飛鳥帰之」とでも書けば、たった四字で、@自分は人気を得ようとするより徳を磨くように努めている、あるいはA自分はそういう思慮深い人にしか仕えない、という意志が読み取ってもらえて便利ですぞ。
という便利な話をしたのに、なんと! これでもまだ智慧を感じていただけないですと!
あたまに来た。もう飯食って寝るですじゃぞ。・・・ふむ、それにしても、この土器に入っているどろどろの塩辛は美味そうじゃな。蚊やぶよも集まってきて、はまりこんで浮いていたりする。
缶醯黄、蚋聚之有酸。徒水則必不可。
缶醯(ふけい)黄にして、蚋これに聚まるは酸有ればなり。徒水なれば即ち必ず不可なり。
土製の壺に入った「しおから」は、黄色い(美味いものの色である)。蚊やぶよがいっぱい集まっている。それはこれが酸味があるからだ。もしただの水であったら、絶対に集まってはこない。
しおからには蚊やぶよが集まってきますが、
以貍致鼠、以冰致蠅、雖工不能。
貍(り)を以て鼠を致(まね)き、冰を以て蠅を致くも、工といえども能わざらん。
「貍」(り)は「タヌキ」ですが、同属の「ネコ」も指します。
ネコにネズミをおびき寄せさせようとしても、氷を置いてそこにハエを集めようとしても、どんなにうまくやってもできるはずがあるまい。
この「致」は「致仕」(ちし・仕えを致す=シゴトを辞める)ではなく、「致士」(ちし・士を致(まね)く=人物を招聘する)と熟する「致」です。「まねく」と訓じてください。
とむとじぇりーは格別、本来、ネズミはネコを見れば逃げ出す。ハエは腐敗しているものに集まるので、氷があれば逃げていく。
一方、
以茹魚去蠅、蠅愈至、不可禁。以致之之道、去之矣。
茹魚を以て蠅を去らんとするも、蠅はいよいよ至りて、禁ずべからざらん。これを致くの道を以てこれを去らんとすればなり。
ゆでて腐りはじめた魚を使ってハエを追い払おうとしても、ハエはどんどん集まってきて、止めることはできなくなるだろう。それを集める方法を用いてそれを追い払おうとしているのだから。
ハエを人民に置き換えてみてください。
桀紂以去之之道、致之也。罰雖重、刑雖厳、何益。
桀紂はこれを去るの道を以てこれを致かんとせしなり。罰重きといえども、刑厳しといえども、何ぞ益せん。
国を滅ぼした夏の桀王、殷の紂王は、どちらも、人民を追い払う方法を用いて、人民を集め従わせようとしたのだ。歯向かったら重い罰を課し、キビシイ刑を与えたとして、どうしてうまく行くことがあろうか。
大寒既至、民煗是利。大熱在上、民清是走。
大寒既に至れば、民は煗(あたたか)なるをこれ利とす。大熱上に在れば、民は清らかなるにこれ走る。
大変寒い季節が来れば、人民は暖かいところがいいと考える。大変暑い天気になれば、人民は涼しいところを求めて移動する。
故民無常処、見利之聚、無之去。民之所走不可不察。
故に民に常処無く、利を見てこれに聚まり、無くしてこれを去る。民の走るところは察せざるべからざるなり。
このように、人民には恒常的な居場所など無いのである。人民は自分に利益があると思えばそこに集まり、無いとなれば去っていくのじゃ。
人民がどこに行こうとしているのか、よくよく注意して観察していなければなりませんぞ。
もし民が走り出し始めたら、君主の地位など一たまりも無いのですから。
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「呂氏春秋」巻二より。われら人民はホント怪しからんなあ。よくよく注意してくださいよ。
シゴトいよいよ来週バクハツするようだ。再来週かも。どうせ残存思念波なので現世のことなどどうでもいいが。