「君子とはお櫃や丼でごはんを食べ、小人とは茶碗で食う者のことじゃ」「さすがでございますので赤とんぼも感心しているのでモグ」
今日から夜は涼しくなりました。しかし平日。明日はキツイのがあるぞ。
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暑いときは暑いのをいやがってますが、冬には寒いのいやがるのは、われらはオロカ者なので必定です。
しかしながら、
天不為人之悪寒也而輟冬。地不為人之悪遼遠也而輟広。
天は人の寒きを悪(にく)むがためには、冬を輟(や)めず。地は人の遼遠を悪むがためには、広きを輟めず。
天は、ニンゲンが寒いのがイヤだから、といって、そのために冬を無くしてしまうことはない。
地は、ニンゲンがはるかに遠いのがイヤだから、といって、そのために広大な土地を無くしてしまうことはない。
そして、
君子不為小人之匈匈也而輟行。
君子は小人の匈匈(きょうきょう)たるがためには、行うことを輟めず。
立派なひとは、下らぬやつらがぎゃあぎゃあとうるさく文句を言うから、といって、(道義ある)行動をやめてしまうことはないのじゃ。
「匈」(きょう)は「胸」の本字で、「むね」のことですが、「どきどきする」などのオノマトペとしても使われます(「きょう」はニンゲンの動悸の音をあらわすという)。ここでは、うるさく議論することを「匈匈」で表現しているらしい。
言い換えますと、
天有常道矣。 天には常の道有り。
地有常数矣。 地には常の数有り。
君子有常体矣。君子には常の体有り。
天には、いつも変わらぬ(天体や季節の変化などの)動きがある。
地には、いつも変わらぬ(距離や高さなどの)数値がある。
そして、
立派なひとには、いつも変わらぬ本質的な部分があるのじゃ。
だから、
君子道其常、小人計其功。
君子はその常に道(よ)り、小人はその功を計る。
立派なひとは変わらぬやり方でやっていくだけなんじゃ。しかし、下らぬやつは(手順ややり方ではなく)その効率や出来高だけを気にしているのじゃ。
みなさん、立派なひと(君子)になってくださいね。下らぬやつ(小人)を目指してはいけませんよ。
詩曰、何恤人之言兮。此之謂也。
詩に曰く、「何ぞ人の言を恤(うれ)えんや」と。これ、この謂いなり。
(今は伝わらない)古い詩の一節にこうある。
「人がなんといおうと気にすることはないのだ」
と。これは、このこと(変わらぬやり方でやっていけばよい、ということ)を指しているのじゃ。
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「荀子」天論篇第十七より。社会には変わらぬ何か大切なものがあるんだ、とすれば、これでいいんですが、大切なものはどんどん変わっていくのでこれではダメなのかも知れません。まさか、社会には大切なものはないのだ、効率と出来高だけなのだ、ということはありますまい・・・。