元になったのは、こんな感じのやつであろうか。
今日もあちかったですね。こんな日は、くい、と一杯、芳醇な酒をいただいて眠りにつきたいものだぜ。だが明日はもう平日なので、よい夢を見ることはできない。
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唐末の乾符年間(874〜879)のこと、あるひとの子どもが死んだ。
「しようがないなあ」
と、
入山葬子、掘地二尺来。
山に入りて子を葬らんとし、地を掘りて二尺に来たれり。
山の中に入ってその子を葬ってやろうとして、地面を約60センチぐらい掘り進んだとき―――。
「山」といってもどこでもいいのではなくて、我が国俗にいう「三昧山」とか「でんでら野」というやつで、死者を葬るための山とされてる「山」だったんだろうと思います。
「うひゃあ」
忽陥丈余、深数尺。
忽ち陥いること丈余、深さ数尺なり。
突然、3メートル以上にわたって地面が1メートル程度陥没した。
その穴には、
収得秫百斛。莫知其由。
秫(じゅち)百斛を収め得たり。その由を知るなし。
モチアワが(一斛≒60リットルとして)6000リットルほど貯蔵されていた。いったい誰が何のために貯蔵していたのかわからなかった。
「ちょうどいいや」
と子どもをその穴に葬り、モチアワは持って帰った。
将醞酒、其味濃厚。
将(もち)いて酒を醞(うん)するに、その味濃厚なり。
これを使ってお酒を醸したところ、実に芳醇な味わいの酒ができた。
そうである。わしが考えたのではなくて、徐庭実の語るところによる。
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五代・龍明子・陳纂「葆光録」巻二より。わらしべ的にはコドモが粟酒に化けた。しかも味が濃厚であったとは、味わい深いお話です。