令和2年8月30日(日)  目次へ  前回に戻る

元になったのは、こんな感じのやつであろうか。

今日もあちかったですね。こんな日は、くい、と一杯、芳醇な酒をいただいて眠りにつきたいものだぜ。だが明日はもう平日なので、よい夢を見ることはできない。

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唐末の乾符年間(874〜879)のこと、あるひとの子どもが死んだ。

「しようがないなあ」

と、

入山葬子、掘地二尺来。

山に入りて子を葬らんとし、地を掘りて二尺に来たれり。

山の中に入ってその子を葬ってやろうとして、地面を約60センチぐらい掘り進んだとき―――。

「山」といってもどこでもいいのではなくて、我が国俗にいう「三昧山」とか「でんでら野」というやつで、死者を葬るための山とされてる「山」だったんだろうと思います。

「うひゃあ」

忽陥丈余、深数尺。

忽ち陥いること丈余、深さ数尺なり。

突然、3メートル以上にわたって地面が1メートル程度陥没した。

その穴には、

収得秫百斛。莫知其由。

秫(じゅち)百斛を収め得たり。その由を知るなし。

モチアワが(一斛≒60リットルとして)6000リットルほど貯蔵されていた。いったい誰が何のために貯蔵していたのかわからなかった。

「ちょうどいいや」

と子どもをその穴に葬り、モチアワは持って帰った。

将醞酒、其味濃厚。

将(もち)いて酒を醞(うん)するに、その味濃厚なり。

これを使ってお酒を醸したところ、実に芳醇な味わいの酒ができた。

そうである。わしが考えたのではなくて、徐庭実の語るところによる。

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五代・龍明子・陳纂「葆光録」巻二より。わらしべ的にはコドモが粟酒に化けた。しかも味が濃厚であったとは、味わい深いお話です。

 

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