令和2年8月8日(土)  目次へ  前回に戻る

カッパがジャマなのじゃ。

みなさんは暑かったかも知れませんが、わし(カメ軍師)は溪谷に暮らしておりますから、今日も涼しかったのう。うっしっし。

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わしが溪谷で釣り糸を垂らしていると、立派ななりをした老人(人類である)が寄ってきたでカメ。

その老人は言う、

子楽漁邪。

子は漁を楽しむか。

「おまえさん、釣りは楽しいですかな?」

わしは答えた、

君子楽得其志、小人楽得其事。今吾漁甚有似也。

君子はその志を得るを楽しみ、小人はその事を得るを楽しむ。今、吾が漁するに甚だ似たる有り。

―――お偉い方は思ったことがうまくいくのが楽しみじゃ、しもじもは手掛けたシゴトがうまくいくのが楽しみじゃ(、と申しますが)、いまわしが釣りをしているのもだいたいそれに似ているのでカメ。

「ほほう、どこが似ておりますかな」

釣有三権。禄等以権、死等以権、官等以権。夫釣以求得也。其情深可以観大矣。

釣りに三権有り。禄等以て権し、死等以て権し、官等以て権す。それ、釣りは以て得るを求むるなり。その情、深くして以て大を観るべし。

―――釣りには三つの「ちえくらべ」がございましてな。エサ(俸禄)によって何が釣れるか魚(天下の士)と知恵比べし、(エサが魚に)命をかける価値を与えられるかどうか知恵比べし、魚の大きさ(士の能力)によって(釣り糸やエサや)与える役職をどうするか知恵比べする。いやはや、釣りというものは魚を得よう(天下の士を集めよう)とするものですじゃ。その「はからい」は深く、それによってより大きな物事を考えるよすがになるのですじゃでカメ。

「ふむふむ。

願聞其情。

願わくば、その情を聞かんことを。

できればどういう「はからい」になっておるのか、お教え願えますかな」

源深而水流、水流而魚生之、情也。根深而木長、木長而実生之、情也。君子情同而親合、親合而事生之、情也。

源深くして水流れ、水流れて魚これに生じるは、情なり。根深くして木長じ、木長じて実これに生じるは、情なり。君子情同じくして親合し、親合して事これに生じるは、情なり。

―――泉源が深く水量がたっぷりあれば、水は流れ始めます。水が流れればそこに魚が棲むようになる。これが自然の「はからい」というものじゃ。根が深くはると木が成長する。木が成長すると、実をつける。これも自然の「はからい」というものじゃ。ひととひとの心のはからいが通じ合うと、親しみあいが生じる。親しみ合えば、協力して物事が成就していく。これが人間社会の「はからい」というものでカメ。

ところで、

言語応対者情之飾也。言至情者事之極也。今、臣言至情、不緯。君其悪之乎。

言語応対は情の飾りなり。至情を言うは事の極まりなり。今、臣は至情を言いて緯(い)まざらんとす。君、それこれを悪(にく)まんか。

―――ことばでの応対は、心のはからいの修飾に過ぎません。ほんとうの心のはからいを申し上げるのは、最もキビシイ仕事です。今、わしはあなたにほんとうの心のはからいを語ろうと思う。何も遠慮をしませんが、あなたはそれがおイヤではござりませんかな?

(道徳の下に隠したあなたの本心を指摘してしまいますぞ。)

老人は答えた、

唯仁人能受正諫、不悪至情。何為其然。

ただ仁人のみ、よく正諫を受け、至情を悪まず。何ぞそれ然るを為さんや。

「心豊かな者は、真正面からの諫言を受けても、ほんとうの心のはからいをイヤがることはない、と申します。どうしてイヤがるなどということがありましょうか」(どこまで見抜いておられるのですかな?)

わしは言いました―――、

緡微餌明、小魚食之。 緡(いと)微にして餌明らかならば、小魚これを食らわん。

緡綢餌香、中魚食之。 緡綢にして餌香ならば、中魚これを食らわん。

緡隆餌豊、大魚食之。 緡隆にして餌豊かならば、大魚これを食らわん。

 釣り糸が細くて、エサがはっきり見えるなら、小さい魚が食いついて、釣り上げられるだろう。

 釣り糸がこまめに撚られていて、エサが美味そうなら、中ぐらいの魚が食いついて、釣り上げられるだろう。

釣り糸がしっかりしていて、エサがでかいなら、大きな魚が食いついて、釣り上げられるだろう。

夫魚食其餌、乃率其緡。人食其禄、乃服於君。

それ、魚のその餌を食らうや、すなわちその緡に率う。人のその禄を食むや、すなわちその君に服す。

―――さて、魚がエサに食いつくと、釣り糸によって釣り上げられる。ひとが俸禄をもうらうと、その主君に心服する。

故以餌取魚、魚可殺。以禄取人、人可竭。以家取国、国可抜。以国取天下、天下可畢。

故に餌を以て魚を取れば、魚は殺すべし。禄を以て人を取れば、人竭すべし。家を以て国を取れば、国抜くべし。国を以て天下を取れば、天下畢すべし。

―――つまり、エサによって魚を獲れば、魚は殺してしまうことができましょう。俸禄によってひとを採用すれば、人材を集め尽くすことができましょう。その上で、一族をまとめるように国を取り扱えば、国はまとめることができましょう。国をまとめて天下を取り扱えば、天下は必ずものになりましょう。

(それがあなたの狙いではございませぬか?)

嗚呼、曼曼緜緜、其聚必散。嘿嘿昧昧、其光必遠。微哉聖人之徳、誘乎独見、楽哉聖人之慮、各帰其次、而立斂焉。

ああ、曼曼緜緜(まんまんべんべん)たるも、その聚必ず散ず。嘿嘿昧昧(もくもくまいまい)たるも、その光は必ず遠し。微なるかな、聖人の徳、誘乎として独り見(あら)われ、楽しきかな、聖人の慮り、おのおのその次(じ)に帰して、斂を立てり。

―――ああ。だらだらと長く続くと思っているものでも、いつかその集まりは散じてしまうもの(今、天下を支配している者たちもいつまでも、というわけにはいきませぬ)。暗くて隠れているものでも、その中からずっと先には光りが現れてくるもの(今、雌伏しているあなたさまが、天下を取るときが来ましょうぞ、うっしっし)。聖人の徳というのは見づらいけれど、ひとを誘うようにやがてはっきりしてくるのじゃ。聖人の未来は楽しいもので、みんな自分の帰るべきところに帰って、力を合わせるようになるのじゃ。

「ほほう、

立斂何若、而天下帰之。

斂を立つは何若(いかに)して、天下これに帰せん。

帰るところに帰って力を合わせる―――、そうしてそこからどうすれば天下がすべて従ってくれるようになりますかな・・・。

ここからはわしの城へ帰って、じっくり話し合いたいところです」

「うっしっし、それではまいりましょうでカメ」

と言って、わしはその老人について行ったのでカメ。

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「六韜」文師第一より。ちなみにわしの名前はその書では「太公望」と書かれていますのでカメ。

そのあとわしは「ぐつぐつといいお風呂が沸いておりますぞ」とか言われて騙されてカメ鍋にされたのではありません。軍師として遇されたのじゃ。老人の名は姫昌、後に周の文王と呼ばれるようになるひとでしたんでカメ。紀元前11世紀ごろのことじゃったなあ。わしらは万年生きるので、それぐらい昔でも昨日か一昨日のように思い出されるのでカメる。

 

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