令和2年8月2日(日)  目次へ  前回に戻る

もう流されて行くしかないのだ。なんの思想も計画もなく、そして明日への展望もなく。平日は。

肝冷斎出奔(県境を越えたようなのでもう追い切れません!)のため弟子の肝冷童子が更新いたちまちゅ。なお、コドモなので仕事はしません。会社から呼び出されてもしません。コドモです。曜日もわからないようなコドモなんです!

・・・・・・・・・・・・・・・・

――水に流される舟のように、自由な境涯でいたいもんでちゅなあ。

と、コドモながらにうそぶいておりまちゅと、どこかのじじいが出てきて、しゃべり始めまちた。コロナ危険だから出てこなければいいのに・・・

大道汎兮、其可左右。

大道は汎として、それ左右すべし。

大いなる道は、小舟が浮かんでいるように、左にも右にも行くことができる。

「ほう。このじじい、なかなかやりまちゅな・・・」

万物恃之以生而不辞、功成不居、衣被万物而不為主。

万物これを恃んで以て生ずるも辞せず、功成れども居らず、万物を衣被すれども主と為らず。

あらゆるものはそれ(「大いなる道」)によって生成されるのだが、それはそのことを嫌がることはない。それはいろんなことを仕遂げるのだが、その状態を静止させて支配するわけではなく、あらゆるものを、衣をかぶせるように保護しているのだが、指導するわけではない。

「へー」

故常無欲、可名於小矣。

故に常に欲無く、より小なりと名づくべし。

だから、それには意志というものは無いんじゃ。だから何よりも弱く微かなもの、ということができるんじゃ。

ところが、

万物帰焉而不知主。可名於大矣。

万物、焉(ここ)に帰するも主を知らず。より大なりと名づくべし。

あらゆるものがそれ(「大いなる道」)から生まれそれに帰っていくのに、(あらゆるものは)それが何であるかを知らない。何よりも大きく顕らかなもの、ということもできるんじゃ。

以其不自大、故能成其大。

その自ら大なりとせざるを以て、故によくその大を成す。

自分では大きなものと主張しない。だから、こんなにも大きくなることができたんじゃなあ。

「なるほど。じじい、深いでちゅな」

・・・・・・・・・・・・・・・・

「老子」上篇・第三十四章より。なんとこのじじいは老子さまだったんでちゅ。ようし、おいら老子さまについて行って大いなる道について学ぼうっと。従いまして肝冷童子も本日から出奔のため、明日からはまた誰も更新する者はおりません。それぐらい何もやりたくないのです。肝冷族は、平日には。

 

次へ