少しアップにしてみたが、やる気はまったくない。それだけでなく、そのことによる焦慮も不安も給料もらっているんだからさすがに何かはしなければならないだろうという義務感も、まったく無くなってきた。コロナ感染の諸症状に強度の「倦怠感」があるそうですが・・・。
幸福が遺っているなら使い果たしてしまわないようにしましょう。老後に使うかも知れませんからね。子孫に遺す必要はないが。
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清・乾隆朝に吏部尚書、内閣大学士となった文正公・劉統勲が、
有墨刻聯。句云、 墨に聯を刻する有り。句に云う、
退一歩想、 一歩を退くの想い、
留幾分心。 幾分を留むるの心。
墨に対聯を刻んでいた。なんと書いたかというと、
いつも、一歩退いて考えろ。
そして、幾分かは残しておけ。
二語可作座右葴。
二語、座右の葴と作(な)すべし。
この二句は、座右に書いておく標語にすべき価値があろう。
「面従腹背」よりはいいですよね。前もいいましたが、「面従腹背」は「作戦」で、場合によっては「モットー」にはなりますが、「座右銘」や「座左銘」にはなりえません。
また、部屋に一聯掲げてあって、曰く、
惜食惜衣、非為惜財只惜福。 食を惜しみ衣を惜しむは、財を惜しむがためにあらず、ただ福を惜しむなり。
求名求利、但需求己莫求人。 名を求め利を求むるは、ただ己に需求するのみにして、人に求むるなかれ。
食い物を粗末にするな、着るものを粗末にするな。財産が惜しいからではない、幸福が逃げて行ってしまわないようにするために。
名誉を求め、利益を求めよ。ただし内心の目標として求めるので、他人から認められようとか、他人から利益を奪ってしまおうと思ってはならない。
いいこといいますね。食い物を粗末にしてはいけません。
何故、幸福が逃げてしまわないようにするのか。
わしが思うに、わしら士大夫階級の者は、
承祖父余沢、得以取科第、登仕版、皆由前人積徳所致。更当継之惜福、方可望後人之紹前体也。
祖・父の余沢を承けて、得て以て科第を取り、仕版に登る、みな前人の積徳を致すところに由る。更にまさにこれを継ぎて福を惜しみ、まさに望むべし、後人の前体を紹(つ)がんことを。
ご先祖さま以来ため込んできた幸福の余りで、科挙試験に合格し、役人の名簿に載せてもらうなど、みんな先人たちが積み上げた徳のおかげさまなんじゃよ。今後もさらにそのご先祖さまの思いを継いで幸福を大切にするため、今度は子孫たちがわしの(使い切れなかった幸福の)後継者となってくれればいい、と思うものなのじゃ。
彼らは特権階級ですからね。
とはいえ、
豈云惜福耶。然無如人之徒知享福也。噫。戒之哉。
あに福を惜しむと云わんや。然るに人のいたずらに享福を知るが如きは無し。ああ、これを戒めんかな。
どうして幸福を逃がさないようにしたい、ということを目標に掲げるだろうか(幸福を逃がさないようにする、というのは結果に過ぎないのである)。一方、今、自分が受けている幸福は自分の努力の結果だと思って、自分一代で幸福を享受しきってしまおうというような考え方は、願い下げである。そんなことを考えないように、戒めねばなりませんぞ。
このほか、
魏環極先生の
読書改過。
書を読み、過ちを改めん。
読書しよう。過ちは改めよう。
朱滄湄先生の
変化気質、 気質を変化し、
愛惜精神。 精神を愛惜せよ。
根性のよくないところを直し、
精神の高く清らかなのを守りとおせ。
もいい「座右銘」である。
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清・趙慎畛「楡巣雑識」上巻より。今日は会社をサボって、大腸ポリープ取ってもらいにいってました。おかげさまで、シゴトもしないし会社のひととも会わなくてよかったので、精神はだいぶん愛惜できた。