神と仏、どちらかぐらいはいるのでは。
昨日から現世から姿を滅しておりましたが、明日はまた平日か。
・・・・・・・・・・・・・・・
明日はまた人間社会に戻らねばなりません。
人間社会では、
不好責彼、 彼を責むるを好しとせず、
務自省身。 自ら身を省みるに務めよ。
他者を責めるのはよろしくはございません。
自分の方に問題があるのだと反省してみなされ。
如有知此、 もし此れをを知る有らば、
永滅無患。 永く滅して患(うれ)い無し。
そのことをよく知っていれば、
やがて(因果は)永遠に消滅して、もう心配は無くなりますぞ。
・・・・・・・・・・・・・・
「法句経」第六則。というような生き方をして、耐え忍ばなければならないのだ。ツラいなあ、納得できないなあ・・・と思うのですが、しかしこの「法句経」の一節には、どうも漢訳者に誤訳があるようなのです。
友松圓諦師のサンスクリットからの訳(「法句経講義」講談社学術文庫版p62)を見ますと、
「わたしたちはここでやがて、死なねばならないのだ」
このことを他の人々は、ほんとうに気づかないでいる。
誰でも、もしこの事実を自覚するならば、その人には、もはや、あらそいというものがなくなってしまう。
と訳されています。
漢訳の「此れ」は、「他人責めるな己れを責めよ」という命題ではなくて、「わたしたちはここでやがて死ぬ」ということだったんです。そうか、それならもはや争いは起こりません。納得できますね。よし、明日はこれを人々に説いて、争い(やシゴト)を無くすことにしよう。みなさん分かってくれるかなあ。