地形や風土の違いにより、妖怪も各地に盤踞している。
東京は雨が降って寒かった。暑い地方もあるのであろう。
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宋の時代のこと、某(なにがし)県で、
有尉夜半撃令門。
尉の夜半に令の門を撃つこと有り。
「尉」は県の警察や軍事を司る責任者で、「令」は知事。どちらも中央政府に任命されて赴任してきます。
深夜、警察署長が、知事の官舎の門をがんがんと叩いた。
門番が顔を出すと、
求見甚急。
見(あ)うを求むること甚だ急なり。
「知事どのに面会したい!」とたいへん急いでいるのであった。
知事は、
「明日にしてもらえ」
と言ったのだが、署長は
「急いでおります」
というので、知事は
披衣遽起取火、延尉入。
衣を披(き)てにわかに起きて火を取り、尉を延いて入らしむ。
上着を引っ掛けると、すぐに起きだして燈火を手に、署長を部屋に招き入れた。
「どうしたのだ?何があったのだ?
豈有盗賊竊発。豈家有疾病倉卒乎。
あに盗賊の竊(ひそ)かに発する有らんか。あに家に疾病倉卒なる有らんか。
「もしかしたら、盗賊どもがひそかに事件を起こそうとしているのか。それとも、君の家に急病人が出て、助けを求めているのか」
と質問すると、署長が答えて言うには、
不然。
然らざるなり。
「いえ、全然そうではありません」
「それでは朝まで待てない急用とは一体何か?」
某見春夏之間、農事方興、百姓皆下田。又使養蚕、恐民力不給。
某(ぼう)、春夏の間に農事まさに興らんとし、百姓みな下田するを見る。また養蚕せしむるは、恐るらくは民力を給せざらん。
「今は春過ぎて夏が来た季節、わたくしが見ておりますと、ちょうど田植えが行われ、農民たちはみな田んぼに出て働いております。それなのに、同じこの季節に、カイコの飼育も始めようというのです。これでは農民たちの労働が集中して、労働力が不足してしまいますぞ!」
「はあ?」
知事はそう言われて一瞬驚いたふうであったが、しばらくして訊ねた。
然則君有何策。
然らばすなわち君に何の策有りや。
「それなら、君にはどうすればいいかアイディアがあるのか?」
署長は言った、
某見冬間農隙無事。不若移養蚕在冬、為両便。
某、冬間に農隙無事なるを見たり。若かず、養蚕を移して冬に在らしめて、両つながら便と為すに。
「わたくしは、冬の間、農民たちがすることもなく比較的ひまがあるのを見ております。そこで、カイコの飼育を冬にさせるのです。そうすれば、田植えにもカイコの飼育にも労働力を集中させることができて、どちらにもいい影響がございましょう」
「うーん・・・」
知事は一唸りしたあと、にやにやしながら、言った、
君策甚善、古人不及。奈冬無桑葉何。
君が策はなはだ善し、古人も及ばず。冬に桑葉無きを奈何(いかん)せん。
「ああ、君のアイディアはすばらしい! これまで誰も思いつかなかったことだ! ・・・だが、冬にはカイコのエサにする桑の葉が無い。これをどうすればいいのか!」
と、言われて、
尉瞠目不対、久之拱手長揖曰、夜已深、伏惟安置。
尉、瞠目して対せず、これを久しくして拱手し長揖して曰く、「夜すでに深し、伏して惟(おも)う安置されんことを」と。
署長は目を見開いたまま答えられなかった。しばらくして、手を重ね合わせて頭の上に持っていく礼を行うと、
「もう夜も遅いようでございます。どうか安らかにお休みくだされ」
と言った――――
わははははー。これはオモシロいなあ。いい笑い話だなあ、原則「尉」は武官で「令」は文官だから、チャイナ特有の文官偏重も垣間見られて可笑しいなあ・・・、と、わしも思っていたんじゃ。
しかし、
予来嶺表、見一歳三蚕。蓋冬桑不凋、故蚕可養。十月尽猶簇繭。
予、嶺表に来たりて、一歳に三蚕するを見る。けだし、冬も桑の凋まず、故に蚕養うべきなり。十月尽にもなお簇繭す。
わしは南嶺山脈の南側、すなわち広州に赴任してきて、毎年三回はカイコを飼育しているのを知った。なぜなら、亜熱帯なので冬の間も桑の葉が凋まない。このため、十月の末(太陽暦では12月半ばぐらい)になっても、まだ繭が集まるのだ。
ということで、
知尉之策未必不善、而令之笑止可行于中原。
尉の策いまだ必ずしも善ならざるにあらず、而して令の笑止は中原において行わるべきなるを知れり。
署長のアイディアは実は決して悪くはなかったのだ。そして、知事のにやにやは、温帯の中原でしか通用しないにやにやであったのだ、ということを知ったのである。
やはり、あちこちに足を伸ばして、気候や風土や人間性・文化などを実地に見ると、いろんなことがわかるものなのだ。
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宋・朱翌「猗覚寮雑記」より。GOTOしてあちこちで見聞を広げたいところですが、東京の人はダメです。