令和2年6月1日(月)  目次へ  前回に戻る

いいやつに見えても食い物や分け前のことでは人が変わるやつもいるので、気をつけねばならない。

ずいぶんがんばったと思ったが、やっと月曜日が終わっただけか。

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六月といえば旧暦では真夏です。暑いなあ。

金・元の時代、

高麗以北、名別十八。華言連五城也。

高麗以北は、別十八と名づく。華言の「連五城」なり。

高麗より北の方を(女真語やモンゴル語では)「別十八」(ベシパル)と呼んでいた。漢語に訳せば「連なる五つの町」である。

五つの宿駅があったのでこう名付けられたのであろう。

罪人之流奴児干者、必経此。

罪人の奴児干(ぬるがん)に流さるる者、必ずここを経るなり。

ヌルガンの地に流罪になる者は、みな必ずこの地を通ることになる。

「ヌルガン」は黒竜江の河口部、今のロシアのハバロフスクあたりを指す女真語で、金の時代に女真族の領域に入り、元朝(モンゴル語では「ヌルガル」)、明朝の沿海州支配の拠点となった地です。ここには「骨鬼」(グキ)と呼ばれたアイヌ族も現れていたという。

この「別十八」の地は、

極寒、海亦冰。自八月合至明年四五月方解。

極寒にして海また氷る。八月に合してより明年四五月に至りてまさに解く。

ものすごく寒くて、海も凍ってしまう。(旧暦の)秋八月に凍ってしまって、翌年の四月五月になって、ようやく解氷するのである。

「うっひゃっひゃー、すべすべでちゅー」

人行其上、如履平地。

人のその上を行くに、平地を履むが如し。

海の冰の上は、平地を進んで行くようなものであった。

さて、元の時代、朝鮮半島の開城にあった征東等処行中書省では、

毎歳委官至奴児干、給散囚糧。

毎歳、官に委ねて奴児干に至りて囚糧を給散せしむ。

毎年、出張する役人に預けて、ヌルガンまで行かせて罪人たちのための食糧を運搬させることになっていた。

たいへん重要なシゴトですね。なお、「征東等処行中書省」は元の「行中書省」(中書省の役割を行う(機関))の一つで、最初、フビライ・ハーンによって日本攻略(いわゆる元寇)のために設けられ、その後、高麗と遼東を支配する機関として元末まで存続した組織です。高麗はこの間、属国の扱いとされており、この行中書省の長官はモンゴル高官、次官を高麗王が務める定めであったそうです。

この出張者は、

須用站車。毎車以四狗挽之。狗悉諳人性。

すべからく站車(たんしゃ)を用う。毎車、四狗を以てこれを挽く。狗、ことごとく人性を諳んず。

すべて宿駅をつなぐ車を使わせるのであるが、この車は、一台ごとに四匹のイヌが引っ張るイヌ車であった。このイヌたちは、ニンゲンの考えることがみなわかるのである。

これは夏は「イヌ車」でそれ以外の季節には「イヌ橇」になるのでしょう。南極でタロやジロが引っ張っていたやつです。

しかしながら、

站有狗分例。若尅減之、必嚙其主者、至死乃已。

站に狗の分例有り。もしこれを尅減せば、必ずその主者を噛みて、死に至りてすなわち已むなり。

宿駅ではイヌに食わせるエサの分量が決まっている。もしもこの量を少しでも減らすと、イヌどもは「どういうことでワン」「怪しからんでワン」と怒り出し、主人に噛みついて、そいつが死ぬまで放さない。

このため、宿駅には「イヌのエサを分量どおり与えよ」と注意書きが書いてあった、とのこと。コワいですね。

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「南村輟耕録」巻八より。食い物の恨み系は許されません。エサをけちると、いいやつだと思っていたタロやジロにもかみ殺されるんです。エサをけちってはいけません。もちろん釣った魚にも。→(参考)http://zenshow.net/2020/05/31/釣った魚に餌をあげる%ef%bc%92/ チャドクガも出てるみたいです。

 

 

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