醤油でべたべたの手で本を読むと、醤油味の本ができて美味くなるでぶー。味噌味やカレー味も美味いでぶー。
平日がもう来ないといいのになー。
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みなさん知っている人は知っているが、しもじものみなさんは知らないと思いますが、
秘閣中所蔵宋板諸書、皆如今制郷会進呈試録、謂之胡蝶装。
秘閣中に所蔵の宋板諸書、みな、今制の郷会の進呈する試録の如く、これを胡蝶装と謂えり。
宮中の閉架図書館に所蔵されている宋の時代の木版印刷の書物は、すべて、ゲンダイの同郷会が作成して配布する「目録書」と同じ形になっていて、これを「胡蝶装」と呼ぶ。
この「ゲンダイ」は、明代のことです。
そして、「ゲンダイの・・・目録書と同じ形」というのは、印刷した紙を中央で谷折りにし、その中央を継ぎ合わせて編綴した装丁をいいます。
←こんな形だそうです。(小島毅先生の「中国思想と宗教の奔流 宋代」講談社2005「中国の歴史」07 p234に載ってました)
一枚一枚ひらひらして、チョウチョのようではありませんか、というので「胡蝶装」。
これに対して「ゲンダイ」(明代)の装丁は、(近代まで日本の「和本」も同様でしたが)印刷した紙を中央で山折りにして、両端の方を継ぎ合わせて編綴しています。
←こんな形でっせ。
宋版の「胡蝶装」になっている書物は、一枚の紙の真ん中を継ぎ合わせてあるだけですから、両端を合わせて二枚づつになるゲンダイの編綴法に比べて弱体で解けやすい―――はずだと思うのに、
其糊経数百年不脱落、不知其糊法何似。
その糊、数百年を経て脱落せず、その糊法の何似(いかん)なるを知らず。
それを綴じ合わせている糊が、数百年経ってもしっかりしていて(紙が)脱落していない。いったいこの糊の製法はどうなっているのであろうか。
と常々疑問に思っていたのです。
この間、たまたま元代の王古心の「筆録」を読んでいたら、興味深い記述があった。
なるほど。
宋世装書豈即此法耶。
宋世の装書、あに即ちこの法ならんや。
宋代の装丁に使った糊は、こうやって作ったものだったのだなあ。
なっとくなっとく。
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明・張萱「疑耀」巻五より。納得できる話のようです。王古心「筆録」は今伝わっていませんが、該当箇所を元・陶宗羲「南村輟耕録」巻二十九が書き写してくれているので、こちらを読んでみます。
王古心先生筆録内一則云、方外交青龍鎮隆平寺主蔵僧永光、字絶照、訪予観物斎。時年已八十有四。
王古心先生「筆録」内の一則に云う、方外の交わりなる青龍鎮の隆平寺主蔵僧・永光、字・絶照、予の観物斎を訪る。時に年すでに八十有四なり。
王古心先生の「筆録」の中にこんな一話がある。
・・・世俗の外の交友を行っている青龍鎮の隆平寺の保存倉庫長の永光絶照という和尚が、あるとき、わしの書斎である観物斎を訪ねて来てくれた。和尚はそのころもう八十四歳のお年であったんじゃ。
話次因問光、前代蔵経、接縫如一線、歳久不脱、何也。
話次に因みに光に問う、前代の蔵経、接縫一線の如く、歳久しくして脱せざるは、何ぞや。
話のついでに永光和尚に訊いてみた。
「前王朝の宋の時代のお経の本は、継ぎ合わせた部分がたった一本の線のように細いのに、何年経っても外れない。あれは何故でございましょうかな?」
「ほげほげ、そうですなあ」
和尚は答えて言った、
古法用楮樹汁、飛麪、白芨末、三物調和如糊、以之黏接紙縫、永不脱解、過如膠漆之堅。
古法は、楮樹汁、飛麪(ひべん)、白芨末(はくきゅうまつ)の三物を調和して糊の如くし、これを以て紙を黏接して縫い、永く脱解せざること、膠漆の堅の如きを過ぐ。
「いにしえの方法は、こうぞの樹液、ムギコの飛ばし、それにラン科の植物・白芨の根を乾燥させ粉末にした粉、この三つを混ぜて、糊のように粘体にします。これを使って紙をねばねばと引っ付けて、その上から糸で縫うと、半永久的に外れることがありませんのじゃ。そうですなあ、ウルシとニカワを付けると、かちかちに堅くなりますが、それ以上堅くなると、お考えくだされ」
「へー」
なお、王古心先生は上海のひとである。
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現代(←21世紀の世界のことです)でさえ当時の糊の効能を再現するのは難しいのだそうで、紙の材料にもなる「こうぞ」の樹液が粘り気をもたらし、ムギコが腐食を防ぎ、ラン科植物が防虫の効力を持つのではないか、と推定されているようです。
休日ばかりだとこんなことばかり勉強して過ごしてゆけるのだが。