令和2年5月9日(土)  目次へ  前回に戻る

「われわれヒツジは書物のことを考えると、すぐ眠くなって・・く・・る・・の・・で・・メ・」「わたしどもヤギも本なんか食べませんので、わたしどもに遺していただいても困りますのでメエ」

岡本全勝さんからアマゾンで本買うと楽しいぞ、と言われて、この自粛中にかなり買い込んでしまっています。これは物理的にマズいですよ。

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むかしの人(←ゲンダイから見て、ではなく、元の時代から見て、です)のコトバにこんなのがあるのですぞ。

積金以遺子孫、子孫未必能尽守。積書以遺子孫、子孫未必能尽読。不如積陰徳于冥冥之中、以為子孫無窮之計。

金を積みて以て子孫に遺さんも、子孫いまだ必ずしもよく守り尽さんや。

書を積みて以て子孫に遺さんも、子孫いまだ必ずしもよく読み尽さんや。

如かず、陰徳を冥冥の中に積みて、以て子孫が無窮の計と為さんには。

おカネをたくさん貯めて、子孫に遺したとしても、子孫がその残高を守り続けられることはありますまい。

書物をたくさん積み上げて、子孫に遺したとしても、子孫がその書物をすべて読み尽せることはありますまい。

だとすると、人に知られぬように隠れてよいことをして神々のところに蓄えておき、その徳による善果を子孫が永遠に使えるようにしてやった方がよろしいでしょう。

というのです。

此言甚好。

この言、甚だ好し。

いやあ、いいコトバですなあ。

「確かにおカネを遺しても意味が無いかも知れんが、書物を遺すのは少しは意味があるのでは」

という人もいるかも知れませんが、いやいや。ダメです。

例えば、身近な例で恐縮なんですが、

吾家先人寓溧陽、分沈氏居之半、以為別業、多蓄書巻。平昔愛護尤謹、雖子孫未嘗軽易検閲。

吾家の先人、溧陽に寓し、沈氏の居の半を分けて以て別業と為して、多く書巻を蓄わう。平昔、愛護尤も謹しみ、子孫といえどもいまだかつて軽易に検閲せしめず。

うちのおやじどのは、江蘇・溧陽に移住して、沈氏の屋敷の半分を手に入れて別荘にして、そこに多数の書物や巻物を蓄えていた。以前はたいへんこれらをたいせつにしており、子どもや孫でも簡単には見せてくれなかった。

必有用然後告于先人、得所請乃可置于外館。

必ず用有て然る後に先人に告げ、請うところを得てすなわち外館に置くべかりき。

必ず、何のために必要なのかを明らかにして、おやじどのに申請し、お願いしてやっと本宅の方に持ってくることが許されたのである。

それからもう何十年か経った。

その後、わしも兄弟たちもそれぞれにシゴトも出来、あちこちに独立していった。

予一日自外家帰省、見一婢執選詩演半巻、又国初名公諫牘数幅、皆剪裁之余者。

予、一日外家より帰省し、一婢の「選詩演」半巻、また国初の名公の諫牘数幅を執るを見るに、みな剪裁の余なり。

わしがある時、外の自宅から帰省してきたときのこと、下女の一人が「名詩選解説書」の半分だけ、と、元朝初期の有名な大臣たちの諫言の原本を何枚か手にしているのを見て、(この下女は読書家なんだな、と思いながら)覗き込んでみたら、

なんと! 

すべてあちこち切り取られた跡があった。

今回も、この下女は、読もうとしていたのではなくて、はさみを取り出して切ってお膳の敷物にしようとしているのだ。

「ば、ばかもの!!!!」、

急扣其故、但云、某婢已将幾巻褙鞋帮、某婢已将幾巻覆醤瓿。

急にその故を扣くに、ただ云う、「某婢はすでに幾巻を将(もち)いて鞋帮(あいほう)を褙(はい)せり。某婢はすでに幾巻を将いて醤瓿(しょうほう)を覆えり」と。

急いで「何故そんなことをするのか」訊いてみると、その下女はおろおろして、ただ

「下女のなにがしさんだって、巻物を何本か使っておくつのつくろいの裏打ちになさったんです。なにがしさんだって、巻物を何本から使って醤油がめのふたにしたんです」

と言い訳するばかりである。

「うーん」

わしはすぐおやじどのところに行って、「おやじどの、下女がこんなことを言っていたが、気づいているのか」と質した。

すると、おやじは言った。

吾老矣。不暇及此。是以有此患。

吾老いたり。これに及ぶ暇あらず。ここを以てこの患あり。

「わしはもう年じゃ。なかなか書物の世話はできん。それで、こんな困ったことになってきておるんじゃ。

考えてもみろ、おまえたちは独立していき、かあさんとあの下女たちと、あとは預かった幼ない孫がいるだけなんじゃぞ。誰が書物の面倒を見るのじゃ?」

「ああ!」

わしは

不覚嘆恨、亦無如之何矣。

覚えず嘆恨するも、またこれを如何ともする無かりき。

覚えずため息をついて悲しんだが、だからといってどうすることもできなかった。

ところで、浙江・上虞の荘簡公・李光さまをご存知ですか。

李光さまは、「書において読まざる無し」と称された読書家で、

多蓄書冊与宋名刻数万巻。

多く書冊と宋の名刻数万巻を蓄う。

多数の書物と宋代の名筆家たちの文字を写したものを、合わせて数万巻保有していた。

そして、これを他所に移さずに大切に保管することが、一族の力にもなることだという「家訓」を遺されたので有名ですね。

ところが、

子孫不肖、且粗率鄙俗、不能保守、書散于郷里之豪民家矣。

子孫不肖、かつ粗率にして鄙俗、保守するあたわず、書、郷里の豪民の家に散す。

その子孫たちはダメなやつらで、しかもいい加減でいなかもので俗物、文化を愛する心もないので、守ることができず、書物類は浙江各地の富豪たちの家に散らばってしまった。

往往過客知荘簡者、或訪求遺迹、読其家訓者、不覚為之痛心也。

往往にして過客の荘簡を知る者、あるいは遺迹を訪求し、その家訓を読む者、覚えずこれがために心を痛めしむ。

ときおり、李光さまの事績を知る旅人が通りかかって、その居宅を訪問することがあるのだが、「家訓」を読んでいる者が現状と照らし合わせて、ふとこころにつらく思うことがあるという。

また、浙江・四明の袁伯長先生をご存知ですか。

承祖父之業、広蓄書巻、国朝以来、甲于浙東。

祖父の業を承けて、広く書巻を蓄えて、国朝以来、浙東に甲たり。

父祖以来の家業のかたわら、広く書物・巻物を集め、元代のはじめ以来、浙江東部の第一級の蔵書家であった。

しかし、

伯長没後、子孫不肖、尽為僕幹窃去転売他人、或為婢妾所毀者過半。

伯長の没後、子孫不肖、ことごとく僕幹の窃去して他人に転売するところと為り、あるいは婢妾の毀つところとなるもの過半なりという。

袁伯長の死後、子孫はダメなやつらで、下僕頭が盗み出して他人に転売したり、あるいは下女やお手付きの女が破り壊してしまったりで、半数以上がのこっていないのだそうである。

特に

名画旧刻、皆賤売属異姓矣。悲夫。

名画・旧刻、みな賤売されて異姓に属す。哀しいかな。

多数あった名画や古い印刷本は、みな(その価値もわからないままに)安売りされて他の家のものになっているのだ。悲しいことではないか。

ということですから、冒頭に戻って、むかしのひとの言うことは、やはり

信可徴。

まことに徴(ちょう)すべし。

ほんとうに実証されているのである。

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元・孔斉「至正直記」巻二より。書物を持っているだけでなく子孫も持っている人は、早く陰徳に替えておかないといけませんね。どうやったら両替できるのか知りませんが。

←書痴のみなさんには、このようなジゴク的様相が・・・

←こんな夢の花園に見えているらしいのでメー。

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