令和2年3月26日(木)  目次へ  前回に戻る

こんなやつ百羽にエサやるのはたいへんである。

みんな治るといいのですが・・・。

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明の時代のことです。江蘇・鎮江衛に范某という軍士がいた。ちなみに明代の兵士は、代々兵士を世襲する「軍戸」で、科挙の受験資格が無く、生まれながらに兵士になる「身分」です。徴兵や傭兵ではありません。

この范某の女房が、

患瘵疾瀕死。

瘵疾を患(わずら)いて死に瀕せり。

「瘵」(サイ)は「康熙字典」「引縦病也」とあり、(筋肉が)引っ張ったり弛んだりする病だ、ということなんですが、現代のどういう病気に当てはめればいいのか、シロウトには俄かに決めがたいので、ここでは「原因不明の病」にしておきます。

原因不明の病気にかかって、死にかけていた。

通りかかった道士が何やら薬を調合して飲ませてくれたので、危機を脱することができたが、道士がいうには、

「小康状態になっただけで、近いうちにまた危険な状態になるじゃろう。そのときは・・・」

「な、なんとかなりませんか」

道士は言った。

「この病には特効薬があるが、なかなか調合が難しくてのう」

「ぜひ教えてくだされ」

「そうさなあ・・・」

道士が告げて言うことには、

用雀百頭、以薬米飼之。至三七日、取其脳服之、当差。然一雀莫減也。

雀百頭を用いて、薬米を以てこれを飼え。三七日に至りてその脳を取りてこれを服さば、まさに差(い)ゆるべし。然るに一雀を減ずるなかれ。

「スズメを百羽そろえることじゃ。栄養価の高いコメをエサにして飼い、三七=二十一日後に、そいつらの脳みそを取り出して食べさせれば、おそらく治るじゃろう。一羽でも少なければダメじゃ。

あとは本人次第じゃなあ」

そう言って、何やら意味ありげに笑ったのであった。

范は言われたとおり、鳥屋に行って百羽のスズメを買い、毎日白いコメを与えて飼った。死んだスズメがいたら、すぐに買ってきて穴埋めした。

さて―――

未旬日、范以公差出。

いまだ旬日ならざるに、范、公差を以て出づ。

まだ十日も経たないころ、范は公用があって出かけなければならなくなった。

その留守中、女房は床から起き出して来て、

観雀、嘆曰、以吾一人、残物命至百、甚不仁也。吾寧死、安忍為此。

雀を観(み)、嘆じて曰く、「吾一人を以て、物命を残すること百に至るは甚だ不仁なり。吾むしろ死なんも、いずくんぞこれを為すに忍びんや」と。

飼われているスズメたちを見て、ためいきをついて言った。

「あたし一人のために百の生き物の命を奪ってしまうなんて、冷酷なことだよね。たとえあたしが死んだって、どうしてこんなひどいことをするのをガマンできるだろうか・・・」

そして、

開籠放之。

籠を開きてこれを放つ。

カゴを開けてスズメたちを解放した。

ぴいちく、ぴいちく、ぴいぴい、ぴい。

スズメどもはエサが欲しいのかしばらくカゴの周りを歩き回っていたが、やがて一風吹いたのに乗っかって、さあ、と飛び去って行った。

夫帰、怒責其妻、妻亦不悔。

夫帰り、その妻を怒責するに、妻また悔いず。

夫が帰ってきてそのことを知ると、「おめえのために飼っていたってえのに!」と女房を叱ったが、女房は「あたしは後悔してないよ」と言い放ったのであった。

「てめえのアタマの中は、お花畑か!」

・・・ところが、

已而病差。

已にして病い差(い)ゆ。

そのあと、女房の病気はころりと治ってしまったのである。

それだけではなく、

久不産育、是年忽有妊、生一男。

久しく産育せざるに、この年たちまち妊有りて、一男を生む。

長い間子宝に恵まれていなかったのだが、この年、とつぜん妊娠し、男の子を産んだ。

男両臂上、各有黒瘢、宛如雀形。

男の両臂上には、おのおの黒瘢有りて、あたかも雀の如き形をなせり。

男の子の両腕には、それぞれ黒いあざがあって、まるでスズメのような形をしていた。

ということでございます。

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明・陸粲「庚己編」巻第八より。よかったです。生活の重みに苦しむ民衆は、真実より「おとぎ話」を求めてしまうのかも知れませんなあ。なお、軍戸だから、生まれた子どもも兵士になります。

今日は意外と忙しかったなあ。久しぶりで昼抜きである。それで腹減ったので、晩飯うまいの食ったけど、もう腹減ってきました。

おいらたちも食べてやるでちゅー。

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