令和2年3月10日(火)  目次へ  前回に戻る

不死鳥フェニックス(想像図)である。社会変革の不安の中ではこのような神性を持つ鳥が現れるものである。

週末まであと三日・・・。終末は?

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こんな話してもしようがない、話された方がどう対処していいのかわからなくて困ってしまう、とはわかっているのですが、超古代のことです。

「史記」によれば、堯帝の時代、その宰相であった舜(後に帝位に就きます)は、堯の命を受けて、世の中の悪いやつらをやっつけた。

この中に「三苗」(さんびょう)というやつらがいて、

在江淮荊州、数為乱。

江・淮・荊州に在りて、しばしば乱を為す。

長江、淮水、湖北湖南のあたりに棲んで、しばしば中原の天子に対して反乱を起こしていた。

というのです。

この「三苗」は、現代において雲南に住む少数民族「苗(みゃお)族」のことだ、という説もあるのですが、古代の南方系のやつら、その中には東に渡って日本列島に来たやつらもいる水田農耕民族の一派で、何種類かに分かれていたので「三」苗といわれたのだ、と考えるのが妥当でしょう。なお、かつて青年期の肝冷斎はこいつらを「ネコ族」とし、「トラ」「キジ」「ミケ」の「三猫」族と仮定してすばらしいファンタジーを書いたことがありますが、今は散佚しております。

「墨子」(非攻下第十九)に三苗の乱について、より詳しい記述があります。

三苗大乱、妖日宵出、雨血三朝、龍生廟、犬哭于市。

三苗大いに乱するに、妖日宵に出、血を雨ふらすること三朝、龍廟に生じ、犬市に哭す。

三苗大反乱の直前には、夜になるとニセの太陽が出たり、血の(ように赤い)雨が三日間降り続いたりし、宮廷のお廟から龍が出て空に昇ったり、市場でイヌが不吉に鳴いたりした。

さらに、

夏冰、地坼及泉、五穀変化、民乃大振。

夏冰り、地は坼(さ)けて泉に及び、五穀変化して民すなわち大いに振う。

夏に氷が張るような冷夏となり、地殻変動が起こって地下水脈まで地割れし、五穀がまともに実らず、人民はたいへん震えおそれた。

そこで、舜は、禹に「このような異常が起こるのは、三苗が天に歯向かおうとしているからであろう」と命じて苗族を討伐させたのである。

「にゃー、攻めてきたので反乱にゃー」

と苗族は禹を迎え撃った!

その戦場で、にわかに黒雲が起こり、

雷電勃震、有神人面鳥身、捧珪以侍、搤矢有苗之祥、苗師大乱、後乃遂幾。

雷電勃震し、神有り人面鳥身にして、珪を捧げて以て侍し、矢を有苗に搤(やく)すの祥あり、苗師大いに乱れ、後すなわち遂に幾(すくな)し。

稲光と雷鳴が起こり震動する中、人面で鳥のかたちの神が現れて、四角い玉を捧げて禹のかたわらに立ち、有苗族に向かって握った矢を投げようとする(姿を見せる)という祥瑞を見せた。

「にゃんと!」

このため苗の軍は大いに乱れてしまい、その後はどんどん小さな勢力へと落ちぶれていった。

こうして、

禹既已克有苗三苗、焉麿為山川、別物上下、章制大極。而神民不違、天下乃静、則此禹之所以征有苗也。

禹は既已(すで)に有苗三苗に克つ有りて、ここに山川を麿為し、上下を別物とし、大極を章制す。しかして神民違わず、天下すなわち静、すなわちこれ禹の有苗を征する所以なり。

禹はこれまでにすでに三苗等の苗族に勝利していたが、このように三苗の勢力が微小となると、山川を磨いてつくりなし、上下の差を設け、四方の境域を明らかにさせた。そして、神も人民も反発することなく、天下は静かに治まるようになった。これは、禹が苗族を征伐した理由でもあったからである。

へー、そうなんだ。実のところ、墨子「非攻説」(征服戦争はいけない説)を唱えましたので、古代の聖王である舜や禹が三苗族を征伐したことは征服戦争に該当する、とされてしまうと困るので、これは悪いやつらを天に代わって「誅」しただけで、戦争ではないんですよ、と説明しているわけです。

「史記」に戻りますと、このようにして、

遷三苗於三危、以変西戎。

三苗を三危に遷し、以て西戎に変ず。

この三苗を三危(というチャイナの外の地方)に移民させて、西の野蛮人に変化させ(江・淮・荊の地方を叛乱しない文化的な人民に置き換え)た。

のである。

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「史記」五帝本紀より。妖日が宵に出たり(これは超新星爆発であろう)、血が三日続けて降ったら気をつけましょう。ということは、今日は血の雨が降っていないので、あと三日、週末までは大丈夫か・・・。

 

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