チューリップとか、人民にはあまり関係ない?
日曜日は人間らしいココロを回復していられるので、いろんな人のことを思い出したりする。
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清の時代のことです。
わしは乾隆二十四年(1759)、江蘇・無錫の生まれですが、鄭春帆はわしと同じ年、同じ月、一日違いで生まれたという関係で、
自幼相愛。工於帖括、屢苦小試。
幼より相愛す。帖括に工みなるも、しばしば小試に苦しむ。
幼いころから互いに大好きであった。彼は書や画を集めて冊子に装丁するのが得意であったが、科挙は第一次試験にさえ何度も落第していた。
ある春の日、たまたま彼の書斎に立ち寄ったとき、本人がいなくて、机の上に書いたばかりの詩があった。
花落客心驚、 花落ちて客心驚き、
小園鳥乱鳴。 小園に鳥乱鳴す。
春光原是夢、 春光はもとよりこれ夢、
流水本同行。 流水はもと同行す。
花が落ちて、旅びとの心は我に返った。
その小さな庭には、鳥が乱れ鳴いていた。
春の光は、やはり夢であったのだろうか、
流れる水こそ、もとからわたしとともに行くものだったのではないか・・・。
まだ続きがあったのだが、本人が戻ってきたので、わたしは
愀然曰、子正在盛年、何作此種語耶。
愀然(しゅうぜん)として曰く、「子は正に盛年に在り、何ぞこの種の語を作すや」と。
なんだか心配になって言った、
「おまえさんは、(わたしと同じで)ちょうど一番盛りの年だぜ。どうしてこんなことを言うんだ?」
「ははは、何故かなあ・・・」
春帆笑而不答。
春帆笑いて答えず。
春帆は笑って、そのことには答えなかった。
即於是年十月死。不意竟成詩讖。
即ちこの年十月に死す。意(おも)わざりき、竟に詩讖(ししん)を成すとは。
その年の冬のはじめ、十月には彼は死んでしまった。結局、予言詩だったのだとは、その時は思わなかったのだが。
張彰というやつは、字を鉄琴といい、初めて会ったときは彼が十五六歳のころだったが、
貌如美人、世所希見。余長其一二歳、毎与談論古今。
貌は美人の如く、世に希に見るところなり。余はそれに長ずること一二歳、つねにともに古今を談論す。
容貌は美しい女性のようにたおやかで、ちょっと他では見られないぐらいであった。わしは彼より一歳か二歳上(十七歳だったのであろう)で、いつも古今の英雄たちのことを話し合っていたものだ。
彼は同じ姓の漢の名参謀・張良(字・子房)に憧れていて、いつも
以張良自命。
張良を以て自ら命ず。
「自分は張良のように生きるんだ」と言っていた。
若いなあ。恥ずかしいなあ・・・。
一日、同往城南看菜花、鉄琴有詩。
一日、城南に同往して菜花を看るに、鉄琴に詩有り。
ある日、蘇州城の南郊に一緒に出掛けたとき、菜の花畑を見た。
「きれいな花だな」「これが油になるのだ」
鉄琴はそのとき、詩をくちずさんだ。
嫣紅奼紫彌天下、 嫣紅(えんこう)、奼紫(たし)、天下に彌(わた)らんも、
関係蒼生唯此花。 蒼生に関係するはただこの花のみ。
「蒼生」は民くさ。人民のみなさん。
あでやかな赤い花、美しい紫の花、世間にはそんな花がはびこるのだろうけど、
人民の生活に直接関係するのは、この花だけではないか。
其抱負如此、不数年而死。惜哉。
その抱負のかくの如きも、数年ならずして死す。惜しいかな。
その(経世済民の)思いと自信はこのようであった。しかし、数年もしないうちに死んでしまったのである。惜しいことだ。
彼は若いころの言動を恥じる大人になるまでは、生きていなかったのである。
義兄の楊廷錫は呉県の光福の人である。
少工詩、語能動人、句必有味。
少にして詩に工みにして、語はよく人を動かし、句は必ず味わい有り。
若いころから詩の上手さには定評があり、一語一語がひとを感動させ、一句一句に必ず味わいがあるといわれていた。
その後、縁あって、わたしの姉がかたづいた。
彼が作った詩句をいくつか覚えている。
盃中有影人成耦、 盃中に影有りて人耦を成し、
天上無雲月不孤。 天上に雲無くして月孤ならず。
さかずきの中に(月が)映ると、わたしたちは友だちになるのだから、
天上の月は雲の無いときには、ひとりぼっちではないのさ。
確かにみごとな対句である。
春来心事憑誰問、 春来たりては心事、誰に憑りて問わん、
惟有簾前双燕知。 ただ簾前の双燕の知る有るのみ。
春が来ました。(あなたの帰りを待つわたしの)心の中を誰を通して訊いてくれますか。
部屋の簾の前に、つがいのツバメがやってきました、彼らだけが知ってくれているでしょう(早くパートナーと一緒に巣作りをしたいという願いを)。
あるいは、
新篁未慣経風雨、 新篁はいまだ風雨を経ることに慣れざるに、
卻傍疎籬護落花。 卻って疎籬に傍(よ)って落花を護る。
(初夏に)育ったばかりの新しい竹むらは、まだ風や雨にさらされることに慣れていないだろうに、
もうまばらなまがきに寄り添って、落ちていく花を守ろうとしている(ようだね)。
などなど。
皆妙。
皆妙なり。
どれもこれも上手い。
そして、彼の人柄を偲ばせる。
死時年三十、惜無存藁。
死するの時三十、惜しむらくは藁を存する無し。
死んだときは三十歳だった。残念なことに、(このように人の心に残っている詩句はあるのだが)彼自身の書いた原稿が遺っていない。
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清・銭泳「履園叢話」巻八より。「以人存詩」(人を以て詩を存す)、そのひとを思えばその詩を思い出す、という題のシリーズです。もちろん「以詩存人」(詩を以て人を存す)、その詩を思えばその人を思い出す、というシリーズもあります。人間らしいココロに戻れたときに。