「このおろか者めが」「もぐー」(さすがはぶたとの、相手の力量を見切っているとは・・・)
崎陽軒のしうまい弁当4000食はどこにいったのか。しうまい弁当の中ではタケノコが一番うまいと思っています。
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「タケの子三郎」のお話です。
チャイナの西南、今の雲南のあたりに、漢の時代、夜郎の国がありました。
夜郎有女子浣於遯水、有三節大竹流入足間。
夜郎に女子有りて遯水(とんすい)に浣うに、三節の大竹の足間に流れ入ること有り。
この夜郎の国では、むかし、ある女が遯川に洗濯に行ったところ、
どんぶらこっこ。どんぶらこっこ。
と三節の大きな竹が流れてきて、女の股の間に入ってきたことがあった。
神話のエクリチュールで、なんらかのエロチックな状態を描いているわけです。
女は、
聞其中有啼声、剖竹視之、得一男孩、帰而養之。
その中に啼声有るを聞き,竹を剖きてこれを視るに、一男孩を得て、帰りてこれを養う。
竹の中でなんやら泣き声がするので、竹を割って中を見てみますと、おとこの赤ちゃんが入っていた。「おほほ、おとこのこだわ」と女はその子を拾って家に帰り、これを養育した。
成長したこのコドモ、知恵と勇気の具わった若者となり、「竹王三郎」(タケノコ三ちゃん)と名乗るようになった。やがて、ついに
自立夜郎侯、以竹為姓。
自ら夜郎侯に立ち、竹を以て姓と為せり。
自ら「夜郎の侯(きみ)」と名乗り、(父親の姓がわからないので)竹を以て姓とした。
漢武帝の元鼎六年(前111)、漢はこの夜郎国を鎮撫し、その王に印綬を与えたが、いろいろあって最終的にこれを殺した。
すると、南蛮人どもが騒ぎ始めた。
以竹王非血気所生、甚重之、求為立後。
竹王は血気の生ずるところにあらざるを以てはなはだこれを重んじ、求めて後を立てんとす。
「竹王さまはもともと生き物から生まれたのではないのだぞ」ということで、たいへん重要視して、竹王の後継者を立ててそれに従おうとしたのである。
このときの王は竹の中から生まれたという伝説の竹王三郎の子孫で、すでに竹の子ではないのですが、原始的な知力なので、人格的には同じだと信じていたのです。そこで漢は、殺した王の子三人に爵位を与えて跡を継がせるとともに、
配食其父。
その父に配食す。
殺した父王を神として祀って食事をお供えさせた。
これによって蛮人どもは落ち着いたのであった。
今夜郎有王三郎神是也。
今、夜郎に王三郎神有るはこれなり。
現代、夜郎に「三郎王さまのみこと」という神様があるのは、この神である。
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「後漢書」西南夷伝(林廷橋「二十五史探奇」巻二所引)より。竹細工を生業とするグループに伝えられた「かぐや姫」伝説と同根の説話だといって1960年ごろ有名になったお話ですが、今となっては紀元前の呉越をはさんで、西九州の倭人と西南夷といわれた雲南少数民族の間に遺伝的・言語的・文化的な類縁性があったことは常識中の常識になってしまいましたから、
「なんだ、こっちは男か、ジェンダー思想の深さが足らんな」
「男だと桃太郎と同根の説話と考えられ、鬼をコロしたりかわいい動物を子分とするなど軍国主義と親近性があるのよ」
で片づけられるぐらいの扱いになってしまいました。
なお、一時代前の「漢書」地理志にも「竹王三郎」が出てきます。
竹王所捐破竹於野成竹林、今王祠竹林是也。
竹王の捐つるところの破竹は野において竹林を成し、今、王祠竹林これなり。
竹王が出てきた割れた竹を捨てたところから、竹林ができた。これが、今、竹王を祀る祠のある竹林である。
また、
王嘗従人止大石上、命作湯、従者白無水。
王かつて人を従えて大石上に止まり、作湯を命ずるに、従者「水無し」と白(もう)す。
王がかつて従者を連れて巨石の上に登ったことがあった。王がそこで従者に「お湯を沸かせ」と命じたところ、従者は「こんなところに水があるはずがありませんよ」と申し上げた。
すると、
王以剣撃石出水。
王、剣を以て石を撃ちて水を出だす。
王が剣を抜いて石に斬りつけたところ、そこから水が噴き出してきたのであった。
すごいですねー。
後人称其水為竹王水。
後人、その水を称して竹王水と為せり。
後のひとびとは、その泉のことを「タケ王さまの水」と呼んだ。
そうでございます。
こちらは弘法大師説話と同根かもしれません。弘法大師も男だからダイバーシティがなんたらかんたらであろう。