令和2年2月13日(木)  目次へ  前回に戻る

そろそろ春である。

今日も暖かかった。

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あちこちウメが咲いていますのう。

莫言衰老怯春寒。 言うなかれ、衰老は春寒に怯ゆる、と。

 怪しからん、「おいぼれじじいは春先の寒さにびびっているぜ」などと言うでないぞ。

小艇尋梅截碧瀾。 小艇にて梅を尋ね、碧瀾を截(き)る。

 わしも小さな舟に乗ってウメを観に行こうと、青い波を切って出発したんじゃ。

わははは。

なあに、大して寒くはないわい。

おお。

忽見江浜美人笑。 忽ち見る、江浜に美人の笑うを。

 やや。見よ。岸辺で若い娘がわしに向かって微笑んでおるぞ。

眼明不作霧中看。 眼(まなこ)明らかにして霧中の看を作すにあらず。

 わしの目はしっかりしておる、目がかすんでそう見えたのではないのである。

・・・・以上。

下らん気がしますが、これは越後の館柳湾先生が、

江上尋梅戯似同遊諸少年。

江上に梅を尋ねて、戯れに同遊の諸少年の似(ごと)くす。

川のほとり、ウメを観に行って、一緒に行った若いもんたちの真似をしてみた。

ときに作った絶句で、当意即妙でいい詩らしい。

うーん。

数樹垂楊覆画楼、 数樹の垂楊、画楼を覆い、

春江雨歇水如油。 春江は雨歇(や)みて、水は油の如し。

 何本かのしだれ柳の向こうに、遊郭の高楼が隠れている。

 春の川では、雨が止んで、水は油のようにどろりとしている。

のんびりした様子。

そこへ、ぎいぎいと、

誰家艇子長橋外、 誰が家の艇子ぞ、長橋の外、

軽櫨揺揺送莫愁。 軽櫨揺揺として莫愁を送るは。

 いったいどこの船頭さんだい? 大橋の向こうから、

 軽やかに櫓をゆらゆらさせながら、別嬪さんを送っていくのは。

「莫愁」はチャイナの六朝時代の詞によく出て来るムスメさん(遊女)の名前である。

その一言で六朝の民謡風の味わいを出そうという「江上春霽」(江のほとり、春の晴れ)という詩なんですが、成功しているでしょうか? 

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「天保三十六家絶句」巻中より。そういう詩情はわからないでもないけれど、わざわざ漢詩にして平仄まで合わせてもらわなくてもいいや、という内容なんですよね。

今日は別の本から別のことを書こうと思っていたんですが、書斎?の蛍光灯が切れてしまい、近くのコンビニに買いに行ったが蛍光灯が無いんで、暗いため長いものを引用できなくなって、これになりました。天保だからでしょうか、こんな感じでは世の中に緊張感が無い感じがしますね。迫りくる嘉永以降の動乱の時代に負け組になってしまうぞ、というのんびり感である。武漢肺炎について、政府の発表どおりだろうと思ってまだまだ緊張感持ってないんで、マスクも消毒用アルコールも用意していないんですが、負け組になってしまうのかも。

 

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