そろそろ春である。
今日も暖かかった。
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あちこちウメが咲いていますのう。
莫言衰老怯春寒。 言うなかれ、衰老は春寒に怯ゆる、と。
怪しからん、「おいぼれじじいは春先の寒さにびびっているぜ」などと言うでないぞ。
小艇尋梅截碧瀾。 小艇にて梅を尋ね、碧瀾を截(き)る。
わしも小さな舟に乗ってウメを観に行こうと、青い波を切って出発したんじゃ。
わははは。
なあに、大して寒くはないわい。
おお。
忽見江浜美人笑。 忽ち見る、江浜に美人の笑うを。
やや。見よ。岸辺で若い娘がわしに向かって微笑んでおるぞ。
眼明不作霧中看。 眼(まなこ)明らかにして霧中の看を作すにあらず。
わしの目はしっかりしておる、目がかすんでそう見えたのではないのである。
・・・・以上。
下らん気がしますが、これは越後の館柳湾先生が、
江上尋梅戯似同遊諸少年。
江上に梅を尋ねて、戯れに同遊の諸少年の似(ごと)くす。
川のほとり、ウメを観に行って、一緒に行った若いもんたちの真似をしてみた。
ときに作った絶句で、当意即妙でいい詩らしい。
うーん。
数樹垂楊覆画楼、 数樹の垂楊、画楼を覆い、
春江雨歇水如油。 春江は雨歇(や)みて、水は油の如し。
何本かのしだれ柳の向こうに、遊郭の高楼が隠れている。
春の川では、雨が止んで、水は油のようにどろりとしている。
のんびりした様子。
そこへ、ぎいぎいと、
誰家艇子長橋外、 誰が家の艇子ぞ、長橋の外、
軽櫨揺揺送莫愁。 軽櫨揺揺として莫愁を送るは。
いったいどこの船頭さんだい? 大橋の向こうから、
軽やかに櫓をゆらゆらさせながら、別嬪さんを送っていくのは。
「莫愁」はチャイナの六朝時代の詞によく出て来るムスメさん(遊女)の名前である。
その一言で六朝の民謡風の味わいを出そうという「江上春霽」(江のほとり、春の晴れ)という詩なんですが、成功しているでしょうか?
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「天保三十六家絶句」巻中より。そういう詩情はわからないでもないけれど、わざわざ漢詩にして平仄まで合わせてもらわなくてもいいや、という内容なんですよね。
今日は別の本から別のことを書こうと思っていたんですが、書斎?の蛍光灯が切れてしまい、近くのコンビニに買いに行ったが蛍光灯が無いんで、暗いため長いものを引用できなくなって、これになりました。天保だからでしょうか、こんな感じでは世の中に緊張感が無い感じがしますね。迫りくる嘉永以降の動乱の時代に負け組になってしまうぞ、というのんびり感である。武漢肺炎について、政府の発表どおりだろうと思ってまだまだ緊張感持ってないんで、マスクも消毒用アルコールも用意していないんですが、負け組になってしまうのかも。