「今晩は寒いので泊めてくれポックル」とか、コロポックルやシマフクロウやキタキツネが頼んできても知らん顔であろうか。
寒いですね。家の無い人やネコはもっと寒いのだ。
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「礼記」の「礼器篇」に、
孔子曰我戦則克、祭則受福。蓋得其道矣。
孔子曰く、「我戦えばすなわち克ち、祭ればすなわち福を受く」と。けだし、その道を得ればなり。
孔子がおっしゃった。「わしは戦えば必ず勝つし、神さまをお祀りすれば必ず福をさずかるんじゃ」と。その正しい方法を知っておられたからなのである。
文末まで孔子の言葉だ、として、「・・・わしがそうできるのは、正しい方法でやっているからじゃ」と言った、とする説もありますが、ここは元・陳澔の「礼記集説」に拠って上のように解しておきます。
うーん・・・。みなさんは何か違和感ありませんか。
「正々堂々と、自信を持ってやっていこう!」
みたいなことを言う時によく引かれる(今でも朝礼で使う人がいるかもしれません。いや、さすがにいないか)そこそこ有名なコトバなのですが、孔子さまがあまりにも自信過剰で「えらそう」に話しているのが気になってしようがありません。弟子の誰かをはげますような必要があるなど、何か理由が無ければこんな「えらそう」な言い方しないと思うんですが・・・。
まあでも三千年前の人のことだから、どうでもいいや。昔のひとでは自信過剰だったんだろう。
・・・ということでどうでもいいことなんですが、最近やっと次のような伝承があることを知ったので、ご紹介しておきます。
子夏問於孔子。
子夏、孔子に問う。
(弟子の)子夏が、孔子に質問した。
客至無所舎、而夫子曰於我乎館。客死無所殯、夫子曰於我乎殯。
客至りて舎するところ無ければ、夫子曰う「我に館せよ」と。客死して殯するところ無ければ、夫子曰う「我に殯せよ」と。
「以前、所用があって旅してきた人が泊まるところが無かったとき、先生はおっしゃいましたよね、「わしのところに泊まってけ」と。所用があって旅してきた人が死んで、死体を置いて葬儀をする場所が無かったとき、先生はおっしゃいましたよね、「わしのところで葬儀せいよ」と。
敢問、礼与、仁者之心与。
敢て問う、礼か、仁者の心か。
(質問したら叱られたり笑われたり呆れられたりするかも知れませんが)勇気を出して訊いてみます、先生の振舞いは、「礼」(しきたり)に依るものだったのですが、それとも人としての優しいココロによるものだったのか?」
孔子は答えておっしゃった。
吾聞諸老耼。曰、館人使若有之。
吾はこれを老耼に聞けり、曰く「人の使いを館するはこれ有るがごとし」と。
「わしは(青年時代、周の国に遊学して、)老耼(ろうたん)さまからこのように教えてもらった。
―――どなたかの使者でお見えになったひとをお泊めするのは、(使者を遣わした)ご本人がおられるのと同じようにするべきものじゃ。
と」
老耼さまは当時周の王宮の図書館長をしていた賢者で、「老子」を書いたのもこのひとだ、という伝説もあるひとですが、とにかく存在そのものを含めて伝説だからどうでもいいことなんです。マジメに考えてはいけません。
「その老耼さまの言葉から考えてみると、
悪有有之而不得殯乎。
いずくんぞこれを有りとして殯を得ざること有らんや。
(使者を遣わした)ご本人(のような高貴な方)が旅先で亡くなったというのに、葬儀を拒否することがありえようか。
子夏よ、
夫仁者制礼者也。故礼者不可不省也。礼不同不異、不豊不殺、称其義以為之宜。
夫(それ)、仁なるものは礼を制するものなり。故に礼なるものは省せざるべからざるなり。礼は同じからず異ならず、豊かにせず殺(さい)せず、その義に称(かな)うを以てその宜と為す。
つまりじゃなあ、人の心の優しさが、「しきたり」を作ったんじゃ。それゆえ、「しきたり」の方は、(その都度)見直されねばならないものじゃ。「しきたり」はいつも同じということはないが、いつも変えなければならないものでなく、ふくらまし過ぎてはいけないし、そぎ落としすぎてもいけない。その時どきのあるべきやり方にぴったりいけば、それでよい、というものなんじゃ」
「かなう」と訓じた「称」は、「てんびんで量ってつりあう」ようにぴったり正しい、の意です。その人にぴったり合う呼び方が「称号」になるように。
故曰、我戦則克、祭則受福。蓋得其道矣。
故に曰く、「我戦えばすなわち克ち、祭ればすなわち福を受く。蓋し、その道を得たるなり」と。
「それで、昔から、「(あるひとが、)自分は戦えば必ず勝ち、神さまを祭れば必ず福を授けられる」という状況になるのは、つまり、そのひとは、正しい方法を知っているからだ」と言うのじゃよ。(おまえたちもその場その時にぴったり称う振舞いをしてくれよ)」
・・・以上です。この方がしっくりきますね。伝説ですが。
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「孔子家語」曲礼子貢問第四十三より。「孔子家語」は曲礼公西赤問第四十四で終わりなので、あと一日で読み終えるぐらいまで来ましたところで、これを発見。でもまあ、全部伝説の世界だからほんとのところはわからないんです。
死体も泊めてやれ、というんですから、家の無いひとやネコやコロポックルも泊めてやらんといけないのかも。三千年前の「しきたり」だからどうでもいいんですが。