平成32年1月14日(火)  目次へ  前回に戻る

みなさんもぶたとののように役に立たないのにひとの食い物を横取りばかりしていると、曲がったことの大嫌いな大元帝国三尺の剣に春風のように斬られてしまうカモしれませんよ。まあぶたとのはこの展開からでもなんとか生き延びると思いますが。

もう一族は誰も出勤していません。もう現世との付き合いは終わりだ。更新だけして生きていくのだ・・・しかし、おそらく今回はPCの能力の問題もあってアップできないようなので、人生そのものがもう終わりなのかも知れません。

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戦国の時代、紀元前4世紀ごろのことです。

斉有居士田仲者。

斉に居士田仲なる者有り。

斉の国に、仕官していない田仲というひとがいた。

「居士」(こじ)は後世では在俗の仏教徒をいうコトバですが、本来は「居士」(きょし)で、資格や能力はあるのに仕官せず家に居るひとのことです。「処士」も同じです。ついでにいうと「処女」も「結婚せずに家に処る女」のことです。

このひとのところに、宋の国から屈穀というひとがやってきて、言った。

穀聞先生之義不恃仰人而食。

穀聞く、先生の義として人に仰ぐを恃まずして食らうを。

「わたくし屈穀は、田先生が、道義として、他人の世話になることなく、自分で作ったものだけを食べておられるとうかがっております」

「そうです」

「すばらしい。先生は堅く己を守っておられる。ところで・・・、

今穀有樹瓠之道、堅如石、厚而無竅。献之。

今、穀に瓠(こ)を樹うるの道有り、堅きこと石の如く、厚くして竅無し。これを献ぜん。

実はわたくしのところには、特別な種類のひさごが育っております。その皮の堅さは石のようで、しかも皮が厚いので穴を開けることもできません。これを一つ差し上げようと思うんです」

と、何やら包みを取り出した。

田仲はそれを遮ぎって、言った。

夫瓠所貴者、謂其可以盛也。今厚而無竅則不可剖以盛物、如堅石則不可以剖而以斟。吾無以瓠為也。

それ、瓠の貴ぶところのものは、その以て盛るべきが謂(ため)なり。今厚くして竅無ければ、すなわち剖きて以て物を盛るべからず、堅石の如ければ、以て剖きて以て斟(く)むべからず。吾、瓠を以て為す無きなり。

「謂」はここでは同音の「為」の代わりに使われています。

「さてさて、ひさごが役に立ちます理由は、(それを割ってお椀にして)食べ物を盛りつけることにありますぞ。今、その皮が厚くて穴を開けることができないのでは、割ってそこに食べ物を盛りつけることはできないではありませんか。石のように堅いのであれば、それを二つに割って柄杓に使うこともできません。そんなひさごをもらっても、わしには使いようがござらんぞ」

「わっはっはー」

屈穀は笑って、言った。

然。穀将以欲棄之。今田仲不恃仰人而食、亦無益人之国、亦堅瓠之類也。

然り。穀もまさに以てこれを棄てんと欲せり。今、田仲の人に仰ぐを恃まずして食らうは、また人の国に益すること無きこと、また堅瓠の類なり。

「そのとおりじゃなあ。わしも、そういう理由から、このひさごを棄てようと思っておったんじゃ(。要らないのでおまえさんにあげようとしたのだ)。ところで、おまえさんが他人の世話になることなく、自分の作ったものだけを食べておるのは、(それだけでおまえさんの労力を費やしてしまい)ひとびとの住む国に対して、何の利益にもならないのだ。この堅いひさごとおんなじじゃ。

とわしは言いに来たんじゃ!」

なんと。嫌味を言いにわざわざ宋の国から来たのか。

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「韓非子」巻十一・外儲説巻上より。単にイヤミを言いに来たのを記録したのではなくて、

言而払難堅確非功也、堅瓠也。

言にして難を払い堅確なるは功にあらざるなり、堅瓠なり。

相手を難じるばかりで硬直した言論は、何の役にも立たない。堅いひさごのようなものだ。

というテーゼを説明する寓言(たとえばなし)らしいんで、味わってみてください。

なお「田」は古代では「陳」と同音ですので、この田仲は、「孟子」に登場する偏屈ものの「陳仲子」のことであろうという。陳仲子は別にご紹介しますが、腹が減ってもめしを食わなかったすごい人です。わたしどもなどはダイエットに志しても、意志が弱いというかほとんどないので、腹が減らなくても食ってしまうというのに。

 

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