令和元年11月11日(月)  目次へ  前回に戻る

太平の世に巣食う寄生虫のようなぶたとのである。「山吹色のお菓子」よりおにぎり等炭水化物を持って来いとのお達しじゃ。

平日だったから疲れたけど、シゴトはほとんど何もしてないし、三食食べて昼寝もしたなあ。治まった時代に、誰かの他のひとたちのおかげで平和に暮らせていて、ありがたいなあ。

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隋の時代です。文中子こと王通先生のところに行って、説教してもらいます。

子曰、治乱運也。有乗之者、有革之者。

子曰く、治乱は運なり。これに乗ずるもの有り、これを革むるもの有り。

先生がおっしゃった。「治まった時代と乱れた時代があるのは、これは運勢によるものです。(どちらの時代に当たっても仕方ないのですが、ただ、)それまでの情勢をさらに進めていく時代と、それまでの情勢が変革されていく時代とがあることは、弁えておかねばなりません」

なるほど。

窮達時也。有行之者、有遇之者。

窮達は時なり。これを行うもの有り、これに遇うもの有り。

「困窮の生活を送るか、出世して立派になるか、これは時運によるものです。(どちらになっても仕方ないのですが、ただ、出世した場合に、)本人の努力によってそうなっている場合と、本人ではなく誰かのおかげでそうなっている場合があることは、弁えておかねばなりません」

出世した人の中には自分の努力で出世したのではない人があるので、そういうひとはそのことをよく認識して行動しないと、はじめから出世していない人よりもひどい目にあってしまうことがあります。

気をつけよう。

吉凶命也。有作之者、有偶之者。

吉凶は命なり。これを作(な)すもの有り、これに偶するもの有り。

「幸運と不運は運命によるものです。(どちらになっても仕方ないのですが、ただ、その中には)その人の行動によって引き起こされたと考えられるものと、ほんとに偶然そうなってしまったというものとがあることは、弁えておかねばなりません。

いずれにせよ、

一来一往、各以数至、豈徒云哉。

一来一往はおのおの数を以て至ると、あにいたずらに云わんや。

治世と乱世、困窮と出世、幸運と不運、これらは行ったり来たりして、何かの理由があって発生することですから、無意味に起こるとはどうしても言えません」

君子たるもの、どちらが起こっても覚悟して対処せねばならないのである。

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「文中子中説」第九・立命篇より。文中子・王通さまは若くして亡くなったのですが、実に味わい深いコトバが多い方です。

遼東之役、天下治船。

遼東の役には天下船を治む。

隋の高句麗征伐の際には、黄海を渡るために天下をあげて船を造った。

このとき、先生はおっしゃった。

林麓尽矣。帝省其山、其将何辞以対。

林麓尽きたり。帝その山を省(かえりみ)せば、その将何の辞を以て対せんや。

「山林はすべて伐り出されてはげ山になってしまいました。皇帝陛下がその様子をご覧になったら、担当の将軍はなんといって言い訳しようというのでしょうね」

征伐を言い出したのはもちろん皇帝ですが、一方、理論的には、皇帝は道義的には全世界の安定に責任を持たねばならない存在です。部下はどう行動すべきだったのだろうか。

これなんか、じわじわと考えさせられるいいコトバだなあ。

 

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