北海道はそろそろ涼しくなって、ワタリガラスが渡ってきているころであろう。
早速コロポックルに突っつかれる。
実際には北海道は暑いみたいです。南関東も暑かった。その中、今日は某所に「カードゲーム・貞観政要」の説明に行ってきました。肝冷斎がいれば彼が行ったであろうになあ。
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いなくなったひとのことを考えてもしようがないので、今日もわしがみなさんに説教してやらねばなりますまいなあ。
清の初めのころ、江蘇・無錫出身の華亦祥というひとがあった。順治十六年(1659)に進士第二人で合格した秀才であるが、直情にして径行(ときどき「怪行」と思っているひとがいますが、「径行」ですので気をつけてください)なるを愛されて、康熙帝の時代、
聖眷甚優。
聖眷甚だ優なり。
皇帝のお覚えがたいへんよろしかった。
あるとき、皇帝の行幸に従って仏寺に赴いたことがあったが、
有某禅師者、徳望素著、聖祖見之如礼仏然、而此僧箕踞自若也。
某禅師なる者有りて、徳望素より著(あら)われ、聖祖これを観て仏に礼する如く然るに、この僧箕踞(ききょ)して自若たり。
この寺には某という禅師さまがおられ、その徳は以前より有名であった。聖祖・康熙帝は、この方の前で、仏を礼拝するかのように拝礼したが、この禅師は、あぐらをかいたままで当たり前のように振る舞っていた。
やがて
車駕出門。
車駕門を出づ。
皇帝の一行はお寺から帰っていかれた。
・・・はずだったのに、華亦祥だけ戻ってきました。
そして、禅師にずかずかと近寄ると、
取所持錫杖痛殴之、慢罵曰、爾何人、敢受天子拝耶。
所持する錫杖を取りてこれを痛殴し、慢罵して曰く、「なんじ何びとぞ、あえて天子の拝を受く」と。
禅師が持っていた錫杖を取り上げて、それで禅師をぶん殴ると、怒り罵って曰く、「おまえはいったい何様じゃ、天子に拝まれてあの態度はどういうことか!」と。
禅師はお答えになった。
不拝我、拝仏。
我を拝せず、仏を拝せり。
「わしを拝まれなさったわけではござるまい。仏を拝まれたのです」
「わはははは」
華は大笑いして言った、
我不打爾、打仏。
我、爾を打たず、仏を打てり。
「わしがぶん殴ったのもおまえではない、仏をぶん殴ったのじゃ!」
禅師は
乃合掌曰、阿弥陀仏、善知識。
すなわち合掌して曰く、「阿弥陀仏、善知識なり」と。
突然合掌して、おっしゃった。
「ありがたや。よくぞご指導くださった」
以上。
さすがにこのことがあってから、華は皇帝の近侍から外されることとなった。
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「履園叢話」巻一「旧聞」より。科挙試験に二番で合格したひとでもこんな程度だったみたいです。
みなさんも仏さまをぶん殴るのは止めましょう。もちろん人間も殴ってはいけません。