秋は、「お、おさる、果汁100パーセントのいいもん食ってるじゃないカニ。この炭水化物と交換しようではないカニ」とカニが仕掛けてくる季節だ。
今日は普通の残暑レベルの暑さでした。夜はまた稲光と雷鳴が。
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揚州郊外のお寺にて。
雨過一蝉噪、 雨過ぎて一蝉噪(さわ)ぎ、
飄蕭松桂秋。 飄蕭(ひょうしょう)として松桂は秋なり。
雨が止んだらセミが一匹、うるさく鳴き出した。
ものさびしく吹く風に、松とモクセイの木が秋を迎えているのだ。
セミが一匹だけ、なので、もう夏とは違うんです。
青苔満階砌、 青苔は階砌(かいせい)に満ち、
白鳥故遅留。 白鳥は故(ことさ)らに遅留す。
青い苔が石の階段にいっぱいになり、
白い鳥が(なんだか知らんが)わざわざゆっくりと止まっている。
どちらもおそらく人の気配がない様子を表現しているのでしょう。
夕方になってきました。
暮靄生深樹、 暮靄(ぼあい)は深樹に生じ、
斜陽下小楼。 斜陽は小楼に下りぬ。
夕靄が深い森の木々の間から湧いてきた。
傾く日は、小さな楼閣の向こうに沈んでいく。
たいへん静かなお寺の中だ。
誰知竹西路、 誰か知らん、竹西の路は、
歌吹是揚州。 歌吹のこれ揚州なるを。
「歌吹」の「吹」は律詩のルール上ここでは仄声に読まないといけませんので、「吹く」という動詞ではなく「吹奏楽の音」を意味する名詞になります。
誰が知ろうか(おれは知っているけど)、竹林の西の道をずっと行けば、
歌と音楽の町、あの揚州なのだ。
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唐・杜牧「題揚州禅智寺」(揚州の禅智寺に題す)。
雨止みて一蝉さわがし。―――の句がすばらしい初秋の詩です。
作者の杜牧は、この詩を作る数年前まで、揚州の繁華街で、
「嬴(か)ち得たり、青楼に薄倖の名を」(華美な楼閣の女たちの間では、おれは「冷たい杜さま」と評判をとったものさ)
とぶいぶい言わせていたんです。
しかしこの時、開成二年(837)作者三十五歳の時は洛陽で仕事していて、弟が病に倒れてこの禅智寺に臥していたので、職務を休んで(結局休職期間が長すぎて免職になってしまいます)その見舞いと引き取りに来ていた。半日ぐらいの行程で、あの揚州の繁華街に行けなくもないのだが、そんな状況でもないし、おれももう年を取ったし・・・という気分の詩なんです。
そして、わしももうダメじゃ。