令和元年9月4日(水)  目次へ  前回に戻る

ぶた天使である。ぶた天使の「よだれ」が↓のように役に立つかどうかはわかりません。

まだ週末になりません。なにかいいことないかなあ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

マジメに生きているといいこともあるらしいです。

清の時代、浙江・仁和の姚某という若者は、医業に志したが、なかなか効き目のある薬を作ることができず、患者が増えませんでした。

そこで、いい薬草を求めてどんどん山奥に入っていくうちに、ある日ついに足を滑らせて、

「うわー」

堕渓。

渓に堕つ。

渓谷に落ちてしまった。

どすん。

落ちたところは谷の影になった暗い場所であったが、地面が柔らかめで、なんとか打撲だけですんだようだ。

「いててて・・・」

手摸石。

手にて石を摸(さぐ)る。

手でまわりの石を探って起き上がろうとした。

ところが、手で触れた石・・・のはずが、

滑而蠕動。

滑にして蠕動す。

つるつるして、なにやらもぞもぞと動き始めたのだ。

ついで、その石は、

負姚上。両目如燈、照見須角。

姚を負いて上がる。両目燈の如く、須角を照らし見(あら)わせり。

姚を載せたまま上方に移動した。それには両目がついていて、まるで燈火のようにぎらぎらと光り、その光の中に、ヒゲと角が照らし出された。

そいつは

委姚地上、騰雲去。

姚を地上に委ね、雲に騰がりて去れり。

姚を谷の上の地面に放り出すと、雲まで上がって去って行った。

「あわわ、これは・・・」

その姿を見て、

始知為龍也。

始めて龍たるを知れり。

自分が落ちたのは龍の背中の上だったことに気が付いたのであった。

わーい、龍に乗れるなんて、いい経験しましたね。

ところがそれだけではなかったのである。

手触涎処、香累月不散、以手撮薬、病立癒。

手の涎に触るるところ、香り累月散ぜず、手を以て薬を撮(つま)むに病い立ちどころに癒えたり。

龍のぬるぬるした粘液に触れた手は、なにやらいい匂いがして、何か月もの間消えることが無かった。そして、その手で薬を調合すると、どんな病気もたちまち治るすごいクスリができたのである。

人呼之謂、摸龍阿太。

人これを呼びて「摸龍の阿太」と謂えり。

ひとびとは彼のことを「龍さわりのあんちゃん」と呼ぶようになった。

・・・という。このひとの子孫が、官僚になった姚三辰なんじゃよ。

・・・・・・・・・・・・・・・

「両般秋雨盦随筆」巻六より。姚三辰というひとについてはよくわかりませんが、そのご先祖さまはすごいクスリを作ったんですなあ。

それにしても考えれば考えるほど

(自分の努力でなくほとんど運の力だけで・・・。うまくやりおって、おれだってそれぐらいついていれば今頃・・・)

と妬みの心がふつふつと沸いてまいりました! もちろんみなさんも沸いてきますよね? ね?

 

次へ