令和元年8月21日(水)  目次へ  前回に戻る

ぶたとのだ。しばらく活動が低調であったが、涼しくなってきたので、また活動をはじめたのだ。

もうダメだ。ああ夏とともに、どこかへ鳥のように自由に飛んでいきたいものだなあ。

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「鳥飛准縄」というコトバがあります。

鳥は飛ぶに縄に准(なずら)う。

鳥は飛ぶときに、縄を標準にする。

ということです。

それはどういうこっちゃ。

夫鳥之飛也、必還山集谷。不還山則困、不集谷則死。

それ、鳥の飛ぶや、必ず山に還り谷に集まる。山に還らざればすなわち困じ、谷に集まらざればすなわち死せん。

ああ、鳥が飛ぶとき、必ず山に戻って行き、谷に集うものだ。山に戻れなければ鳥は弱ってしまい、谷に集えずに単独行動を強いられればほどなくして死んでしまうであろう。

ところで、

山与谷之処也不必正直、而還山集谷。曲則曲矣、而名縄焉、以爲鳥起于北、意南而至于南、起于南、意北而至于北、苟大意得不以小缺為傷。

山と谷の処や必ずしも正直(せいちょく)ならず、しかるに山に還り谷に集まる。曲はすなわち曲なるも、縄と名づくるは、鳥の北に起こりて南を意(おも)いては南に至り、南に起こりて北を意いては北に至る、いやしくも大意得れば小缺を以て傷と為さざるを以て為すなり。

山と谷の場所というのは、決してまっすぐに行けば行けるという地形ばかりではない。それなのに、鳥は山に戻り谷に集うのである。(そこまでの道のりは)曲がって行かなければならないといえばそのとおりなのに、「縄」を標準にする、と言上げしているのは何故であろうか。

鳥は、北から出発して南に行こうと思えば、最終的には南に到達する。南から出発して北に行こうと思えば、最終的には北に到達する。(最終的な到達点が)だいたい思ったとおりならば、少々の間違いがあっても問題とはしない、ということなのである。

「だいたい」というところが「縄に准(なずら)う」という表現の意味らしいです。

「はっきり言ってくれればいいのに」

と思うかも知れませんが、われわれ凡人はわからなくてもいいんです。

此言大人之義也。

これ、大人(たいじん)の義を言うなり。

これは、(常人ではなく)大きな器量のひとのことを言っているのだ。

故聖人美而著之、曰、千里之路、不可扶以縄。万家之都、不可平以准。

故に、聖人美としてこれを著(あらわ)して曰く、「千里の路、扶くるに縄を以てすべからず。万家の都、平らぐに准を以てすべからず」と。

そこで、いにしえの賢者はこのことをすばらしいと考えて明らかにしておくためにこう言った、

「千里の距離を旅するとき、(目的地まで)縄を張ってそれに沿って最短距離で行こうとしても役に立たない。一万戸も家のある大都市を建設するために土地を平坦にしようとするとき、(水を張って土地の高低差を測る)水準器を使っても役に立たない」

と。

もっと大きな視点から観察しなければならないのである。

言大人之行、不必以先帝常義立之謂賢。

大人の行を言うに、必ずしも先帝の常義を以てこれを立てて賢と謂わざるなり。

大きな器量のひと行動について言うときには、いにしえの王者たちが行った常識的なやり方を前提にして、(それに沿っていれば)賢者である、とは必ずしも言えないのである。

後世の賢者が見出した方法が宜しければ、それを採用しなければならない。これを「後王主義」「先王主義」の反対)と言いまして、儒家なら荀子、さらにその教えの延長上にあるというべき法家思想の基本的な考え方なのでございます。

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「管子」宙合篇第十一より。鳥もあんまり自由ではなく、「縄」に沿っているようです。

なお、我が国でも、徂徠学派などが「後王主義」を採用して、周の文王や武王の先例よりも東照宮さまの遺訓の方が正しいことを論じていたりしています。この主義を取ると社会の変化についていきやすくなるんですが、「先王主義」だと変革は「古代に還ろう」というスローガンでしかできなくて、その都度歴史を修正しないといけなくなるから大変なことになるんです。

 

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