令和元年8月5日(月)  目次へ  前回に戻る

あずき棒を手に入れてご機嫌のあずきあらい君だ。しかし、妖怪たちは貨幣経済でないため経済行為に占める略奪の率が高く、危険である。

暑い。出勤などの社会生活はもう危険だ。

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もうすぐ秋が来ますから、社会生活に戻るのはそれからでいいのカモ。

八月初一日、 八月初一日、

托鉢入市廛。 托鉢して市廛(してん)に入る。

 八月の一日に、

 托鉢しに町なかに行ってみた。

千門平旦開、 千門、平旦に開き、

万戸斜炊煙。 万戸、炊煙斜めなり。

 千軒の家の門が朝早くから開かれ、

 一万軒の家ではメシを炊く煙が斜めに上がっている。

(托鉢しがいがありそうじゃのう)

宿雨浄道路、 宿雨は道路を浄め、

秋風吹金環。 秋風は金環を吹く。

 昨晩の雨が道路をきれいにしてくれており、

 秋の風が錫杖の金の環をさらさらと吹いていく。

(さわやかである)

遅遅乞食去、 遅遅(ちち)として乞食し去けば、

法界廓無辺。 法界は廓として無辺なり。

 ゆっくりと食を乞うていく―――

 世界はからりと広く、涯てしもない(ことが実感されるなあ)。

すばらしい。

なお、「法界」(ほっかい)は「宇宙全体」を指しますが、それはそのまま「真理の世界」でもあるとされます。「廓」(かく)は「からりと広い」の意。

「遅遅」(ちち)は「詩経」谷風の詩にあるコトバで、

行道遅遅、 道を行くこと遅遅たり、

中心有違。 中心に違う有れば。

 (実家に帰るために)道を歩いていくのだが、その歩みはゆっくりである。

 (なぜなら行きたくないという)心の中の思いと違っているからだ。

これは夫に棄てられた妻の歌なんだそうです。

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大愚良寛「八月初一」詩。涼しそうですね。我が国では八月一日(もちろん旧暦の)は「八朔節」と申しまして、ちょうど田のイネの実がつくころだというので、農村では「田の実」の祭り、武家では「頼み」の祭りが行われ、いろいろ贈答品を贈り合う日なんだそうです。旧暦ですからまだまどずっと先ですけどね。

 

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