ピイピイと同じひよこ同士で食い物をタカるとは、不届き千万なやつでピヨる。おまえに与する者はいないでピヨる。
今日は岡本全勝さんのこの記述に感銘を受けて、次の文章を読んでみることにしました。
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戦国時代のこと、鄒出身の遊説家・孟軻が梁(魏)の襄王(在位前318〜前296)に面会した。
面会後、「如何がでしたかな?」と問われた孟軻は、
・・・うーん。遠くから見ていると君主にはあんまり見えないひとで、近づいてみてもあんまり畏れ多い、という感じは無かったなあ。急にご質問なされて、
天下悪乎定。
天下いずくにか定まらん。
「天下は乱れておるが、どういうふうに定まるであろうか」
とおっしゃるので、わしは
定于一。
一に定まらん。
「いずれ統一されることでしょう」
と答えた。するとまたご下問があって、
孰能一之。
孰(たれ)かよくこれを一にせん。
「どんなひとが統一するのかなあ」
そこで、
不嗜殺人者能一之。
殺人を嗜まざる者、よくこれを一にせん。
「人を殺すのがイヤなひとが、統一いたしましょう」
さらに、
孰能与之。
孰かよくこれに与(くみ)せん。
「そのひとに協力するのはどんな人かなあ(わしは天下を統一はできないと思うが協力者として勝組にいたいなあ)」
と訊くので、(だんだんうるさくなってきたので)
天下莫不与也。
天下、与せざる莫(な)きなり。
「天下にその人に協力しない者はいますまい!」
と答えて、続けて言ってやったんじゃ。
王知夫苗乎。七八月之間旱則苗槁矣。天油然作雲、沛然下雨、則苗勃然興之矣。其如是、孰能禦之。
王、夫(か)の苗を知るか。七八月の間、旱すれば苗槁る。天の油然として雲を作し、沛然として雨を下せば、苗勃然として興る。それかくの如ければ、孰かよくこれを禦がん。
「王さまは、あのイネの苗をご存知でしょう。七月から八月にかけて、日ががんがん照りつけると、苗は立ち枯れたようになります。ところが、空にもくもくと雲が湧き、ざあっと雨が降りますと、苗はにょきにょきっと立ち上がるではありませんか。そうなったとき、(苗の立ち上がるのを)誰が押しとどめることができましょうか」
「油然」(ゆうぜん)は「雲の盛んなる様子」、「沛然」は「雨の盛んなる様子」、「勃然」は「興起する様子」と朱晦庵が注しておりますので、それぞれ「もくもく」「ざあっ」「にょきにょきっ」と訳してみました。
さて、ここで気になるのが「七月から八月にかけて日ががんがん照りつける」と言っている部分です。むかしのひとは旧暦だから、七月〜八月というのは今の八月のお盆過ぎ以降ぐらいで、もう涼しくなっているのではないか、そんな季節に雨が降ってもイネの生育には関係ないのでは・・・と疑問を持ちませんか。(ふつうの人は持たないですよね。)
これは、古代に三種類の暦があった、という仮説(「三正説」)を前提として考えるとすっきりします。戦国末の「呂氏春秋」あたりに初めて出る考えのようですが、単純にいいますと、古代の夏・殷・周の三代の王朝では、それぞれ冬至のある月を十一月とした(正月はその二か月後)、冬至のある月を十二月とした(正月はその次の月)、冬至のある月を正月にした、ということで、それぞれの王朝で正月が違っていた、というものです。そうすると、夏の時代の正月(「夏正」)はゲンダイのグレゴリオ太陽暦さまの二月ごろ、殷の時代の正月(「殷正」)は一月(でだいたい今の暦と合致するイメージ)、周の時代の正月(「周正」)は十二月に来ることになります。実際に周の暦はこうなっており、日本のマタギなどの狩猟暦は十一月の末から始まるらしいので、周は陝西の古い狩猟牧畜型社会の記憶を留めているのだ―――というカッコいい説もあるのですが、周以外の二つの王朝がそれぞれ暦の正月を換えていた、という「三正」説自体はどこにも証拠がありません。漢の時代になって、「夏正」が一番使いやすいということで冬至のある月を十一月にしました(稲作を中心とした農業には一番使いやすいんだそうなんです)。これが我が国でも今でも「旧暦」(チャイナでは「農暦」)と言っている暦になります。というわけで、戦国時代、まだ「周」が存在し、その暦を使っていた孟子にとっては、「七月から八月」というのは、今の太陽暦さまでいうと「六月から七月」、当時の文明地帯である華北平原には梅雨がありませんので、日差しも気温も一番きつい時期にちょうど該当する、ということになります。(夏と殷の暦はこの部分の解釈には、本当は関係ないんですが。)
・・・あ、いけね。またすごい夜中になってまいりました。
今夫天下之人牧、未有不嗜殺人者也。如有不嗜殺人者、則天下之民、皆引領而望之矣。誠如是也、民帰之、由水之就下、沛然誰能禦之。
今、夫の天下の人牧は、いまだ殺人を嗜まざる者あらざるなり。もし殺人を嗜まざる者有らば、すなわち天下の民はみな領を引きてこれを望まん。誠にかくのごときや、民のこれに帰すること、なお水の下に就くがごとく、沛然として誰かよくこれを禦がんや。
さあて、王さま。現在、天下の民を牧する君主の中に、(自分の利害のためであっても)人を殺したくない、と思っておられる方はおられません。もし(自分の利害のためであっても)人を殺したくない、とお思いになる方がおられれば、天下の人民はみな襟首を引っ張り合ってその人のいる方向を見、早く出現しないかと待ち望むことでございましょう。
本当にそんなものなのです。人民がそのひとに帰服するのは、水が低いところに流れようとするのと同じで、どばあっと行きますから、誰にもそれを押しとどめることはできません」
(・・・と言って、王さまにそのような君主となろうと思われませんか、とカマをかけたわけだが、王さまはもう退屈されたようで、それ以上のご下問は無かったのである。)
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「孟子」梁恵王上篇より。雨がどばあっと来ますと苗がにょきにょきっとなります、というオノマトペ中心の表現は長嶋茂雄さんを彷彿とさせて親しみやすいですね。これから梅雨末期だから、どばっと来るのにみなさんも注意しましょう。
ところで、今日はネットで白善(ぺく・すんよぷ)将軍の名前を何度か見ました。明日は朝鮮戦争開戦日だからですね。将軍に最近韓国紙がインタビューもしたみたいです。彼の自伝「若き将軍の朝鮮戦争」はたいへんためになった。しかるに韓国内では今や「親日派」として罵倒される立場にあられるという。確かに「帝国陸軍最後の傑作」といわれるすばらしい前線指揮官なのだが・・・。