悠久の歴史もこの江の水のように流れていくのじゃぶー。そろそろ週末かもしれないでぶー。
そろそろ週末かなと思うので、みなさんに人生の成功のカギの発見の仕方について、お教えいたしましょう。
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北宋の時代のことです。安徽・歙(きゅう)県の豪族・汪氏の当主が、山中の別荘に行ったところ、
一夕漲水暴至、遷寓荘戸之盧荘戸硯工也。
一夕、漲水暴至し、遷りて荘戸の盧荘の戸硯工なるに寓せり。
ある晩、山から鉄砲水が流れてきたので、近くの自らの土地である盧荘の硯職人の家に避難した。
歙県といえば硯の名産地ですから、硯職人があちこちにいたようなんです。
夜になって眠ろうかとしたとき、
有光起于支牀之石。
光の支牀の石より起こる有り。
ベッドの脚を支えている石から、ぼんやりと光が出ているような気がした。
「不思議な石じゃなあ・・・」
と思いながら、眠いので寝ました。
翌朝、昨夜のことを思い出して、
取之、使琢為硯石。
これを取り、琢して硯石と為さしむ。
ベッドの下からその石を取り出し、試みに、硯石として磨かせてみた。
本宅に帰ってしばらくしてから、くだんの硯職人が出来上がりを持ってきた。
「どんなものかね」
「まあとにかくご覧ください」
と言うので見ましたところ、
色正天碧、細羅文、中涵金星七、布列如斗宿状、輔星在焉。
色はまさに天碧、細羅文あり、中に金星七を涵すに、斗宿の状の如く布列して、輔星在り。
まさに空のようにあおあおとした色で、細かい網目の模様がある。中央の水を受けるところに金色の点が七つあって、これがちょうど北斗七星の形で並び、輔星と呼ばれる小さな星らしきかすかな点も側にあるのだ。
「輔星」はゲンダイ日本人には「死兆星」というとわかってもらえると思います。実際には目のいいひとには普通に見える星なので、死の兆しでもなんでもありません。
「すばらしいではないかね」
「これほどの硯を磨けましたのは、わたしとてはじめてのことでございました」
因目之為斗星研。
因りてこれを目して「斗星研」と為せり。
そこで、この硯を「北斗のすずり」と名づけたのであった。
(このわしが見つけたのだ・・・、わしは運がいい、いや、何ものかに選ばれたのかも知れぬぞ・・・)
実際、この硯を保有してからいろんなことがうまく行き、
汪自是家道饒。
汪、これより家道饒(ゆた)かなり。
汪家はこれ以降、さらに富貴となったのである。
汪は、
懼為要人所奪、秘不語人、毎為周旋人、一出、必焚香再拝而視之。
要人の奪うところとなるを懼れ、秘して人に語らず、人を周旋して一出するに、つねに必ず香を焚き再拝してこれを視る。
えらい方々が(献上名目で)没収していくのを恐れて、秘密にして人に語らないでいたが、仲間うちで人を集めて見せるときには、必ずお香を焚き、神聖なものにするように二度拝礼を行ってから、見せたという。
後、方臘の乱が起こり、
亡之矣。
これを亡えり。
この硯は行方知れずとなってしまいましたのじゃ。
と僧・謙上人にお聞きした話である。
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「春渚紀聞」巻九より。成功のカギはベッドの脚の下とか、いろんなところに隠されているようです。みなさんも自分の生活を見直してみると、何かしら新しい発見があるカモ・・・あ、発見しました。カレンダーをよくよく見たら、実はまだ今日は週の半ばで、週末はまだ先なのにこんな時間まで更新作業をしてしまったことに気づきました。なんというオロカ者なのであろうか。明日休みたいなあ。
ちなみに、方臘の乱は徽宗皇帝の贅沢のせいで苦しむ人民を救済しようと、義に厚い商人、「聖公」とあだ名された方臘が宣和二年(1120)に起こした人民反乱であります。「喫菜事魔」(肉食禁止で野菜だけ食って魔物につかえる)といわれたマニ教教団を背後に持ち、浙江、江西、安徽を占領して新政府を立てたが、宦官・童貫の率いる政府軍(「水滸伝」ではその中には梁山泊の英雄たちも参画して、多く戦死したりしたことになっております)と激しい戦闘の後、宣和四年に平定されたのであった。この硯の持ち主・汪氏も、もしかしたら反乱に参加しているかも。(参考)