花火がドンと鳴ると小心者のナマケモノは木から落ちて命にかかわることがあるが、普段なまけているのがいけないのでいい薬である。このように、変な話をしたりして人を驚かすのは毒であるが、薬になることもあるのである。
なぜわたしは変な話をするのか。
・・・・・・・・・・・・・・
元の至正六年(1346)のことなんだそうですが、ある村では有力者Aの権力が強くて、一般人たちはたいへん困っていたそうです。
あるとき、小作人が商売をしていて騙されたとか儲けそこなったとかで、地主であるAのところへ来て、ある自作農を訴えた。そこでAは、かねてより昵懇の場吏(裁判関係を取り仕切る下役人)を呼んで、
欲誣以在逃竈戸蔵于其家、而擠陥之。
逃竈戸のその家に蔵されて在るを以て誣して、これを擠陥(せいかん)せんと欲す。
その自作農の家では、逃亡農民を雇っていると誣告して、そのひとを罪に陥れようとした。
吏は驚いて、
「そんなことをしたらその家は破産ですよ」
と嫌がったが、大地主の爪牙(手先)になっている某というものが何度もやってきて脅迫めいたことを言うので、
不得已、許以来日従事。
已むを得ず、来日を以て従事せんことを許す。
しかたなく、〇〇日に告発することを許諾した。
すると、ちょうどその日のこと、
二龍降于豪強之家、凡庁堂所有、床椅窗戸、皆自相奮撃、一無完者。
二龍、豪強の家に降り、およそ庁堂の有るところ、床・椅・窗・戸みな自ずから相奮撃して、一も完きもの無し。
二匹の龍(らしきもの)が有力者Aの家に降ったのだ。住居も正堂もすべて、床や椅子や窗や扉など、すべて互いにぶつかりあって壊れ、一つとして残ったものはなかった。
さらにこの龍(らしきもの)は川べりに現れ、ちょうど役所に出かけようとしていた手先の某と場吏の乗った舟を持ち上げて、これを逆さにひっくり返して陸地に落とした。
手先の某は舟の中に閉じ込められ、救い出されたが重傷を負い、場吏のものも左肘を折っていたという。
龍所過之地、作善之家分毫無犯、凡平日之強梁者、多破産焉。
龍の過ぎるところの地、作善の家は分毫も犯す無く、およそ平日の強梁者は多く破産せり。
龍が過ぎたところの土地は、善事を為している家には何の被害も無かったが、普段権力をかさに着ていたひとたちは、財産を壊されたものが多かった。
豪強尋亦遭訟、今漸費蕩。
豪強ついでまた訟に遭い、今ようやくにしえ費え蕩せり。
くだんの有力者は、さらに別件で訴訟を受け、最近はどんどんそのための出費がかさんでぐらついてきているということだ。
ああ。
愚民自以爲天道冥冥、今観斯事、神豈遠乎哉。
愚民、自ら以て「天道冥冥なり」と為すも、今この事を観ば、神あに遠からんや。
オロカな民衆は自分たちで勝手に「お天道さんは何も見てはいねえぜ」と決めつけて(悪さをしたり諦めたりして)いるが、今ここでこの事件のことを考えてみれば、神霊というものが遠いところにいるのではなくて、実際に実力を発揮するものだということがわかるであろう。
―――――――――この「龍」(のようなもの)は、おそらく気象現象としての「竜巻」のことを言っているのではないかと思われますが、このお話は、わたし(←肝冷斎にあらず、元の楊瑀である)自らが草堂先生・張梅逸から、直接、聞いたことなんです。
張梅逸の家に行ったついでに、彼は昨年病気で寝ていたのが、最近また健康を取り戻したというので、
問去年得疾之由、後服何剤而癒。
去年、疾を得るの由、後、何の剤を服して癒えしかを問う。
前年に何が原因で病気になったと考えているのか、そして、どのような薬を飲んで治癒したのか、質問した。
むかしはお医者さんがいつもいるわけではないので、自分でいろんな人から病気の種類とそれへの対処法を聞いて、記録しておかねばならなかったんです。
張梅逸が言うには、
始因気而得之。方当危困之際、忽于清旦似夢非夢、有神語曰、一聞異事、其病立差。
始め、気に因りてこれを得。まさに危困の際に当たって、忽として清旦の夢のごとく夢にあらざるにおいて、神の語有りて曰く、「異事を一聞すれば、その病たちどころに差(い)えん」と。
当初の原因は鬱気だと思われるのですが、その後、危険な状態になりまして、その際に、ある日の朝方、夢とも現つともつかぬ中で、神霊がわたしに
「変な話を一つ聞いたら、あっという間に病気治るよー」
と言ったのです。
次日婿偕門僧来問疾、語及場前龍降一事。
次日、婿、門僧とともに問疾に来たり、語、場前の龍降の一事に及ぶ。
次の日、婿が菩提寺の坊主と一緒に見舞いに来てくれました。二人は、半ば意識不明のわたしの枕もとで、
「ところで和尚はあの話をお聞きになりましたかな・・・」
と言って、「裁判直前に龍が降りてきた事件」について話しはじめたのです。
それが上記の話であった。
「へー」
極其異常、聞之矍然、疾乃如失。
その異常を極むるに、これを聞きて矍然たりて、疾すなわち失わるが如し。
「その変な話を床の中で最後まで聞いたら、ぞぞーっとして、それでどうも症状が無くなってしまったようなんですじゃ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「山居新語」より。変な話を聞くと病気が治る(ことがある)んです。わしがいつもこういう変な話をするので、「なんで肝冷斎はこんな役に立たない話ばかりするのだ?」と疑問を持ち、さらに「肝冷斎はダメだな」と批判的なことをおっしゃる方もおられようかと思いますが、実は人助けのためなんじゃよ。わしの話を聞いて病気が治るひともいるかも知れませんからのう。