令和元年5月31日(金)  目次へ  前回に戻る

これはなんであるのかニャ? どこかからの贈り物かニャ?

今日は洞窟の中で寝ていて気が付かないうちに宅急便屋さんが来たみたいで、不在連絡票が洞窟の前に置かれていました。誰かが何かを贈ってくれたのであろうか。俗世間に出るのは怖いけど、明日宅急便センターに取りに行ってみようかなー。

でもおいらに贈り物なんか来るはずないですよね。

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魯の定公の十三年といいますと西暦だと紀元前497年になりますが、この年、晋の国で内紛が起こり、大貴族の一人、中行文子・荀寅が晋の首府・絳を逃げ出して国の東端にある朝歌に立てこもった。この後、魯・哀公の五年(前490年)に荀寅が斉に亡命するまで続く中行氏の乱の幕開けである。(「春秋左氏伝」による)

このとき、中行文子は、

過於県邑。

県邑を過(よ)ぎる。

とある県庁所在地の町を通り過ぎた。

馬車を御する従者が言った。

此嗇夫公之故人、公奚不休舎、且待後車。

この嗇夫(しょくふ)は公の故人なり、公奚(なん)そ休舎し、かつ後車を待たざる。

「嗇夫」は秦漢以前、司空の属官として地域の土地・人民を管理した職名である。

「ここの地方長官は、殿の旧知の方でございましょう? 殿、どこかの建物を借りて休息し、後からついてくる(荷物を載せた)馬車を待ちませんか」

「うーん、どうかなあ」

中行文子は言った。

吾嘗好音、此人遺我鳴琴。吾好佩、此人遺我玉環。是振我過者也。以求容於我者、吾恐其以我求容於人也。

吾かつて音を好むに、このひと、我に鳴琴を遺る。吾佩を好むに、このひと、我に玉環を遺る。これ、我が過ちを振るう者なり。以て我に容れられんことを求むる者は、吾恐る、その我を以て人に容れられんことを求むるを。

「わたしは以前、音楽が好きでした。そのころ、ここの長官は、わたしに音のよい琴を贈ってくれたんですよ。わたしが腰に帯びるものが好きだというと、ここの長官は、わたしに玉の環を贈ってくれました。つまり、わたしの贅沢や物欲という過ちを煽り立てた人なんですよね。そんな物でわたしに気に入られようとした人ですから、今度は「わたし」を獲物にして別のひとに気に入られようとするのではないか、ということが心配になりますね」

そして、

「やはり寄らないでいきましょう」

と命じた。

乃去之。

すなわちこれを去れり。

というわけで、この地に寄らないで過ぎ去ったんです。

果収文子後車二乗而献之其君矣。

果たして、文子の後車二乗を収めて、これをその君に献じたり。

結局、このひとは、後から文子を追いかけてきた貨物車(四頭立ての馬車である)を二台、没収して、晋公のもとに送り届けたのであった。

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「韓非子」巻七「説林」下より。社会はキビシイので、以前贈り物をくれた人も、やがてはくれなくなるものなんですよ。

 

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