令和元年5月26日(日)  目次へ  前回に戻る

最近あんまりイヌを描いてなかったので、おれでガマンしておくニャ。でギャース!

おいらは肝冷童子、コドモだからシゴトも無くてヒマだし、「肝冷斎の遺したものに何の価値があるのかね? ムダだよ、きみ、それはムダだ」と大人の真似をして分別くさいことをいう必要もありませんので、肝冷斎が洞窟に遺したメッセージを解読していまちゅ。

肝冷斎はいつも「役に立たないのだ、君は!」と言われていたので、それがトラウマでストレス障害になっており、何か役に立つことを書こうと焦っていたようでちゅなあ。

―――コレヤクダ・・・

というメッセージの下に次の文章がメモされていまちた。「役立つお話だ」と言いたいんでしょうなあ。

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昨日登場しました北庭王・阿憐帖木児(アレンジャムール)さま、実はわたくし(←肝冷斎にあらず、原著者の楊瑀なり)とは知り合いだったんです。

王、一日、為余言、我見説婁師徳唾面自乾為至徳之事。

王、一日、余のために言うに、「我、婁師徳が唾面自乾、至徳の事と為すと説かれたり」。

王がある日、わたしに向かっておっしゃったことには、

「わしは、婁師徳の「唾面自乾」(面に唾するもおのずから乾かん)のことは、徳の至りであると言われたことがある」

そうなんですか。

「婁師徳の唾面自乾」について、「よく知っている」「だいたい知っている」「知らないけど君から聴く必要はない」のいずれかの人にはどうでもいいことですが、こういうことです。(「新唐書」「旧唐書」が部屋の底の方になっているので、ここは「十八史略」を読んでみます。)

婁師徳(ろう・しとく)は唐の時代の間にはさまった武周(則天武后政権)期の名臣ですが、

寛厚清慎、犯而不校。

寛厚にして清慎、犯すれども校せず。

寛大で重厚な性格、貪ることがなく慎重で、攻撃をしかけても相手にしないのであった。

というひとです。

あるとき、

弟除代州刺史。師徳謂、兄弟栄寵過盛、人所疾也。何以自免。

弟、代州刺史に除せらる。師徳謂うに、兄弟栄寵過盛なるは人の疾(にく)むところなり。何を以て自免せん。

その弟が、重要な地域である代州の長官に任命された。師徳は(弟に)言った、

「兄と弟がどちらも栄え、帝の御寵愛を盛ん過ぎるほどいただいている、というのは、とかく他人から妬まれやすいものじゃて。どうやって、うまく免れればよいと思うか」

弟曰、自今人雖唾其面、拭之而已。

弟曰く、自今、人のその面に唾すといえども、これを拭うのみにせん。

弟が言った、

「これからは、誰かがわたしの顔にツバを吐きかけたとしても、(それに反発することなく)黙って拭いとるだけにしたいと思います」

すると、

師徳、愀然曰、此所以為吾憂也。

師徳、愀然(しゅうぜん)として曰く、これ、吾が憂いを為す所以なり、と。

師徳は、心配そうな顔をして言った、

「(ああやっぱりなあ、おまえはその程度なんだなあ。)それがわしの心配している理由なんじゃよ」

と。

なんとなく腹の立つ言い方ですね。しかし、これで腹を立てたら、それこそアニキに思うつぼなのだ。弟はマジメな顔をして聞いていなければならないのである。

「よいか、

人唾汝面怒汝也、而拭之、則逆其意而重其怒矣。唾不拭自乾。当笑而受之耳。

人の汝の面に唾するは汝を怒れるなり、而してこれを拭えば、すなわちその意に逆らいてその怒りを重ねん。唾は拭わざれども自ずから乾く。まさに笑いてこれを受くるのみ。

他人さまがおまえの顔にツバを吐きかけるときというのは、おまえに対して怒っているときなのだぞ。それなのにそれを拭ったりしたら、相手の意に逆らって、さらにそのお怒りを加えることになるのだ。ツバなんか拭わなくても自然に乾くのだ。にこにこと笑って吐きかけられたままにしておくのがよいのだ」

ニヤニヤしてたらもっと怒ってくるカモ知れません・・・が、弟さんはにこにこして、

「なーるほど、さすがは兄上じゃ」

とか言ったと思います。

・・・さて、以上が「婁師徳の唾面自乾」というお話でした。

王さまがこれについておっしゃいましたことは、

我思之、豈独説人、雖狗子亦不可悪它。

我これを思うに、あにひとり人を説くのみならず、狗子(くし)といえどもまた、它(た)を悪むべからざるなり。

「わしがこのことをさらに思ってみるに、これは人間相手のことと考えるだけでなく、イヌ相手であっても、あいつらを悪く思ってはならん、ということになるのではないか」

はあ。

且如有一狗自臥于地、無故以脚蹋之、或以磚投之、雖不致咬人、只叫喚幾声、亦有甚好聴処。

もし一狗の自ら地に臥する有るに、故無くして脚を以てこれを蹋(ふ)み、あるいは磚(せん)を以てこれに投ずるに、人を咬むを致さず、ただ叫喚すること幾声なりといえども、また甚だ好く聴(ゆる)せるところに有らん。

「例えば、イヌが一匹、勝手にそこらへんに寝ころでいたとする。そいつに対して、何のわけもなく蹴り飛ばしたり、かわらけをぶつけたりしたとき、やつらが怒って人を噬んでみおかしくないのだが(、そこをガマンして)キャンキャンと吠え喚くだけにしたとしたら、実に寛容なイヌだといえるのではないじゃろうか」

以上です。

「なんや、この王さま、なんでこんな話するんやろ?」

と一瞬戸惑ってしまいますが、昨日のエピソードと合わせて考えると、すごくいい人だったんだろうと思います。

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「山居新語」より。肝冷斎がなぜこんな話を「役立つ」などと思ったのか。うーん。・・・と思ってよくよく見ると、コレヤクダ・・・の後ろに、半分消えかかっていましたが、「ラン」という文字が読めました。

「これや、下らん」

だったのか。なるほど。

(なお、婁師徳の「唾面自乾」が「役立つ」と思うひとは自らの判断で役立ててくださいね)

 

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