最近あんまりイヌを描いてなかったので、おれでガマンしておくニャ。でギャース!
おいらは肝冷童子、コドモだからシゴトも無くてヒマだし、「肝冷斎の遺したものに何の価値があるのかね? ムダだよ、きみ、それはムダだ」と大人の真似をして分別くさいことをいう必要もありませんので、肝冷斎が洞窟に遺したメッセージを解読していまちゅ。
肝冷斎はいつも「役に立たないのだ、君は!」と言われていたので、それがトラウマでストレス障害になっており、何か役に立つことを書こうと焦っていたようでちゅなあ。
―――コレヤクダ・・・
というメッセージの下に次の文章がメモされていまちた。「役立つお話だ」と言いたいんでしょうなあ。
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昨日登場しました北庭王・阿憐帖木児(アレンジャムール)さま、実はわたくし(←肝冷斎にあらず、原著者の楊瑀なり)とは知り合いだったんです。
王、一日、為余言、我見説婁師徳唾面自乾為至徳之事。
王、一日、余のために言うに、「我、婁師徳が唾面自乾、至徳の事と為すと説かれたり」。
王がある日、わたしに向かっておっしゃったことには、
「わしは、婁師徳の「唾面自乾」(面に唾するもおのずから乾かん)のことは、徳の至りであると言われたことがある」
そうなんですか。
「婁師徳の唾面自乾」について、「よく知っている」「だいたい知っている」「知らないけど君から聴く必要はない」のいずれかの人にはどうでもいいことですが、こういうことです。(「新唐書」「旧唐書」が部屋の底の方になっているので、ここは「十八史略」を読んでみます。)
婁師徳(ろう・しとく)は唐の時代の間にはさまった武周(則天武后政権)期の名臣ですが、
寛厚清慎、犯而不校。
寛厚にして清慎、犯すれども校せず。
寛大で重厚な性格、貪ることがなく慎重で、攻撃をしかけても相手にしないのであった。
というひとです。
あるとき、
弟除代州刺史。師徳謂、兄弟栄寵過盛、人所疾也。何以自免。
弟、代州刺史に除せらる。師徳謂うに、兄弟栄寵過盛なるは人の疾(にく)むところなり。何を以て自免せん。
その弟が、重要な地域である代州の長官に任命された。師徳は(弟に)言った、
「兄と弟がどちらも栄え、帝の御寵愛を盛ん過ぎるほどいただいている、というのは、とかく他人から妬まれやすいものじゃて。どうやって、うまく免れればよいと思うか」
弟曰、自今人雖唾其面、拭之而已。
弟曰く、自今、人のその面に唾すといえども、これを拭うのみにせん。
弟が言った、
「これからは、誰かがわたしの顔にツバを吐きかけたとしても、(それに反発することなく)黙って拭いとるだけにしたいと思います」
すると、
師徳、愀然曰、此所以為吾憂也。
師徳、愀然(しゅうぜん)として曰く、これ、吾が憂いを為す所以なり、と。
師徳は、心配そうな顔をして言った、
「(ああやっぱりなあ、おまえはその程度なんだなあ。)それがわしの心配している理由なんじゃよ」
と。
なんとなく腹の立つ言い方ですね。しかし、これで腹を立てたら、それこそアニキに思うつぼなのだ。弟はマジメな顔をして聞いていなければならないのである。
「よいか、
人唾汝面怒汝也、而拭之、則逆其意而重其怒矣。唾不拭自乾。当笑而受之耳。
人の汝の面に唾するは汝を怒れるなり、而してこれを拭えば、すなわちその意に逆らいてその怒りを重ねん。唾は拭わざれども自ずから乾く。まさに笑いてこれを受くるのみ。
他人さまがおまえの顔にツバを吐きかけるときというのは、おまえに対して怒っているときなのだぞ。それなのにそれを拭ったりしたら、相手の意に逆らって、さらにそのお怒りを加えることになるのだ。ツバなんか拭わなくても自然に乾くのだ。にこにこと笑って吐きかけられたままにしておくのがよいのだ」
ニヤニヤしてたらもっと怒ってくるカモ知れません・・・が、弟さんはにこにこして、
「なーるほど、さすがは兄上じゃ」
とか言ったと思います。
・・・さて、以上が「婁師徳の唾面自乾」というお話でした。
王さまがこれについておっしゃいましたことは、
我思之、豈独説人、雖狗子亦不可悪它。
我これを思うに、あにひとり人を説くのみならず、狗子(くし)といえどもまた、它(た)を悪むべからざるなり。
「わしがこのことをさらに思ってみるに、これは人間相手のことと考えるだけでなく、イヌ相手であっても、あいつらを悪く思ってはならん、ということになるのではないか」
はあ。
且如有一狗自臥于地、無故以脚蹋之、或以磚投之、雖不致咬人、只叫喚幾声、亦有甚好聴処。
もし一狗の自ら地に臥する有るに、故無くして脚を以てこれを蹋(ふ)み、あるいは磚(せん)を以てこれに投ずるに、人を咬むを致さず、ただ叫喚すること幾声なりといえども、また甚だ好く聴(ゆる)せるところに有らん。
「例えば、イヌが一匹、勝手にそこらへんに寝ころでいたとする。そいつに対して、何のわけもなく蹴り飛ばしたり、かわらけをぶつけたりしたとき、やつらが怒って人を噬んでみおかしくないのだが(、そこをガマンして)キャンキャンと吠え喚くだけにしたとしたら、実に寛容なイヌだといえるのではないじゃろうか」
以上です。
「なんや、この王さま、なんでこんな話するんやろ?」
と一瞬戸惑ってしまいますが、昨日のエピソードと合わせて考えると、すごくいい人だったんだろうと思います。
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「山居新語」より。肝冷斎がなぜこんな話を「役立つ」などと思ったのか。うーん。・・・と思ってよくよく見ると、コレヤクダ・・・の後ろに、半分消えかかっていましたが、「ラン」という文字が読めました。
「これや、下らん」
だったのか。なるほど。
(なお、婁師徳の「唾面自乾」が「役立つ」と思うひとは自らの判断で役立ててくださいね)