令和元年5月8日(水)  目次へ  前回に戻る

昨日の続きです。絶体絶命と思われたチュージだが、なんとネコたちの複雑なナワバリ争いの中で九死に一生を得たのだ。己を捨ててこそ道は開けるのカモ。

更新担当者の多くは体調を崩し、一部がヤル気無しで逃亡中。簡単に更新しときます。

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昨日の続きだと思って読んでもらうとわかりやすいと思うんですが、

天下唯鬼最富。

天下ただ鬼のみ、最も富む。

この世の中では、死者さまが一番のおカネ持ちだ。

なぜなら、

生前嚢無一文、死後毎饒楮鏹。

生前嚢に一文無きも、死後つねに楮鏹(ちょきょう)饒(ゆた)かなり。

「楮鏹」は字義どおりには「紙製の貨幣」です。「お札」ではなくて、墓前などで焼いて死者に捧げる「紙銭」のこと。

生きている間は銭袋に一文さえ持っていなかったやつでも、死んだ後からいつもいつも紙銭をたくさんあげてもらえるではないか。

天下唯鬼最尊。

天下ただ鬼のみ、最も尊ばる。

この世の中では、死者さまが一番尊敬されるのだ。

生前或受欺凌、死後必多跪拝。

生前あるいは欺凌を受くとも、死後は必ず跪拝多し。

生きている間は時にだまくらかされたりバカにされたりしてきたとしても、死んだ後からは必ずみんなひざまずいて拝んでくれるではないか。みなさんはどうしますか。

やっぱり死んだ方がいいのかなー。

清の時代のみなさんのご意見は、

呉野人曰く、

世於貧士、輒目為窮鬼、則又何也。

世の貧士におけるや、すなわち目して窮鬼と為す。すなわちまた何ぞや。

世間では、貧乏書生のことを「絶望的な死者(のようなやつ)」といっているが、こいつはいったいどうなのか。(「鬼」だが、おカネも無く、尊敬もされていないぞ)

陳廉疇曰く、

窮鬼若死、即並称尊矣。

窮鬼もし死なば、即ち並びに称尊されん。

(わたしのような)貧乏書生も、死んだらすぐに尊敬されるのであろうか。(それならいっそのこと・・・)

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清・張潮「幽夢影」第38章。明日会社行くのツラいなあ。明日は金曜日のはずだから明日一日がんばればお休みだが・・・。

 

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