やる気のないのがモグ、なまけているのがナマケモノ、何も考えていないのがコアラ。世間さまに出すと恥ずかしいやる気無しドウブツ軍団である。
さすがにもう、ドウブツはみんな冬眠を終えて世間様に出ていきました。洞穴でごろごろしているのはおれぐらいか。
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ドウブツたちもいないので静かです。休日だし、本でも読んでヒマつぶします。
読書之人、屏伏田里、不敢為畸邪之行、不敢為詭激之論、不敢著非聖之書。
読書の人、田里に屏伏するといえども、あえて畸邪の行を為さず、あえて詭激の論を為さず、あえて非聖の書を著さざれ。
書を読む階級のひとは、たとえ(世に認められずに)田舎で下積みしているとしても、絶対に変わった行為やよこしまな行動をとってはならない。絶対に屁理屈のついたコトバや激しい議論を公表してはならない。絶対に(孔子や周公らのような)聖人の教え(儒学)の正統から外れた書物を著してはならない。
まっすぐに行動し、ふつうに発言し、発表するのは儒学の解説書のみ。
さらに、
謹身立行、以為斉民先、是即所以報君父。
身を謹み行いを立て、以て斉民の先と為す、これ即ち君父に報いる所以なり。
身辺のことをきれいにし、しっかりと方針を立てて行動し、これらを(世に用いられて)人民を指導する以前にやっておくこと。これこそ、皇帝と自分のおやじの恩に報いる手段である。
以上。これは康熙癸巳年(1713)の挙人、鉅野のひと、傅立元、字・米石のコトバである。
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清・趙慎畛「楡巣雑識」上巻より。おいらのようなゴロゴロ読書人はいいんですが、ほんとの読書人はいろいろ注文されてたいへんですね。
趙慎畛は乾隆二十六年(1761)生、湖南・武陵のひと、字・遵路、笛楼先生と号す。嘉慶元年(1796)の進士で、翰林院編修を振り出しに御史・給事中など中央の官職を長く務め、その後地方官に転じて嘉慶二十三年(1818)広西巡撫(省長官)、道光五年(1825)雲貴総督に任ぜられたが、その年在職のまま卒した。中央・地方の役人生活や科挙、文人たちに関する事件や先例、その他軍事、経済に至るまで当時の政治行政について裏も表も知り尽くしたひとが、その知識の一端を書き残したのが「楡巣雑識」上下巻である。今週から読み始めたので、またタメになるような記事があったら教えてあげますよ。