清明の時節、だんごを食べる炭水化物ライオンだ。モグの頭にも花が咲いているのだ。
今日は一日中雨が降り、寒かった。清明(4月5日)の時節は雨紛々たるものでございますが、それからもう一週間経っているというのに。
・・・・・・・・・・・・・・
小楼纔受一床横、 小楼わずかに一床の横たわるを受くのみ、
終日看山酒満傾。 終日山を看て酒満傾す。
この小さなたかどのは、わずかにベッド一台を横たえることができるだけの広さ、
おれはそこに一日中いて、山を見ながら酒杯を満足行くまで傾けていた。
平日なのにシゴトもしないのだ。楽ちんである。
可惜和風夜来雨、 惜しむべし、風に和して夜来雨ふるに、
酔中虚度打窗声。 酔中虚しく度す、窗を打つの声。
残念ながら、夜に入ってから、風に混じって一晩中雨が降っていたのに、
酔っ払っていて、窓を打つ(雨の)音を聞かなかったのだ。
春の嵐は聞いていて、たましいを揺さぶる何かがあるのである。
・・・・・・・・・・・・
唐・杜牧「宣州開元寺南楼」(宣州開元寺の南楼にて)より。宣州は安徽にあります。ここに杜牧は三十代の半ばごろ、知事の幕僚として赴任していた。この寺で多くの名作を作っておられます。
鳥去鳥来山色裏、 鳥は去り鳥は来たる、山色の裏(うち)、
人歌人哭水声中。 人は歌い人は哭す、水声の中。
鳥は春になったら去り、秋になったらやってくる。変わらぬ山の景色の中を。
人は時には喜び歌い、時には悲しみに泣く。変わらぬ川の水音の中で。(「題宣州開元寺水閣」(宣州開元寺の水閣に書きつける))
閲景無旦夕、 景を閲するに旦夕(たんせき)無く、
憑欄有今古。 欄に憑れば今古有り。
留我酒一樽、 我を留むるは酒一樽、
前山看春雨 前山に春雨を看る。
風景を見る―――朝も夕も。
おばしまに倚って思う―――今といにしえを。
おれをこの場所に止どめて帰さないのはこの一壺の酒だ。
おれはその日、目の前の山に春の雨が降るのを見つめていた。(「題宣州開元寺」(宣州開元寺に書きつける))
いずれもすばらしい。こんな詩句読むと、おれはこれを読むために今日まで生きながらえてきたのではないか、と感じ入ります。
ちなみに「開元寺」というお寺はあちこちにあります。唐・玄宗皇帝が年号の「開元」(713〜741)に因んで各州に作らせたものなんです。