平成31年4月7日(日)  目次へ  前回に戻る

やはりどうも見張られているような気がするが気のせいであろう。それにしてもネコの町ではネズミはどうやって生きているのであろうか。

最近東京はネコが減少し、ネズミのほかネコと生態が類似するハクビシンやイタチなどが出現しているらしいです。

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昨日の続きです。華家の主人は、神々へのお供えをしなかった。さて、どうなったか―――

次の日、

忽聞梁間疾呼曰、汝輩強項若此、吾為施神術而求一飽不可得、吾曹日繁、将奈我何。

忽ち梁間に疾呼するを聞くに、曰く、汝が輩強項するもかくのごとし、吾ために神術を施して一飽を求むるも得べからず、吾が曹日に繁なり、まさに我をいかんせん、と。

突然、屋敷の横柱の上で声が聞こえた。たいへん早口なのだが、よくよく聞くと、

「お前たちが強く勧めるのでやってみたがこんな結果じゃ。わしはこのために秘術を行ってみんなが食べられるようにお供えを求めたのだが失敗した。わしらの仲間はどんどん増えている。わしはどうすればいいのか。

もはやお前たちに勝手にさせるしか無いのであろう」

と言っているのである。そして、気が付くと、

竹篋所盛之小人一石許、亦無有矣。

竹篋に盛るところの小人一石ばかり、また有ること無し。

竹のかごにいっぱいになっていた18リットル近い量の小人たちも、どこかに消えてしまっていた。

その日から屋敷の中はたいへんなことになった。

穿堂穴壁、囓橐啣穢、箱無完衣、遺失淋漓、作閙無虚日。

堂に穿ち壁に穴し、橐(ふくろ)を囓り穢を啣(くわ)え、箱に完衣無く、遺失淋漓たりて、鬧(さわ)ぎを作すこと虚日無し。

大部屋の壁に穴をあけ、袋類をかじって外から汚いものを持ちこみ、箱の中の衣服はことごとく破かれ、糞や尿をあちこちにされ、毎日毎日どかどかと騒がしい音がするようになったのである。

「これはいったい何が起こっているのであろう」

いたしかたなく、主人は道教・茅山派の本山である江西の張真人のところに赴き相談しました。

真人祷之壇、乃曰、此群鼠悞食仙草、変幻為祟也。

真人これを壇に祷るにすなわち曰く、これ群鼠の仙草を食らうを悞(たの)しみ、変幻して祟りを為すなり、と。

真人さまは壇を設けてお祈りくださった。そして、おっしゃるには、

「これはネズミの集団じゃな。ただのネズミではなく、仙界の草を自由に食べたものが、変化して幻覚を見せ、タタリを起こしているのじゃよ」

とご託宣がありました。

相応のお礼は必要だったんですが、ネズミ退治の護符をいただいて帰宅し、

懸諸楼上、復以小符用桃木鍼鍼其穴、遂寂然。

これを楼上に懸け、また小符を以て桃木の鍼を用いてその穴に鍼するに、遂に寂然たり。

まず大きな護符を高楼の二階に引っ掛け、それから小さい護符を桃の木を削って作った棒を使って、ネズミたちの出入りする穴に差し込んだところ、その日からは騒ぎを起こさなくなった。

さらに数日後、高楼から

穢気大作。

穢気大いに作(お)こる。

何とも言えないイヤな臭いがすごく漂ってきた。

そこで高楼の扉を破って中に入ってみると、

見腐鼠千余頭。中有二白毛長尺許者、似即向之作法者也。

腐鼠千余頭を見る。中に二の白毛の長さ尺ばかりの者有りて、即ち向(さき)の作法者に似たり。

千匹以上のネズミが、死んでもう腐りかかっていたのであった。その中に二匹、ほかのより巨大で、白い毛が30センチぐらいもあるのがいて、どうやらこれが、この間、術を施しに来たやつ(とその従者)であったようだ。

これで一件落着です。ああよかったなあ。

この事件は、明の萬暦年間(1573〜1620)の末ごろのことであったそうだが、

按今邑中風俗、歳朝之夜、皆早臥不上燈、誑小児曰、聴老鼠做親。

按ずるに今邑中の風俗に、歳朝の夜、みな早臥して上燈せず、小児に誑して、老鼠を親となるを聴(ゆる)すか、と曰う。

現在(19世紀初め)の我が村の風俗を考えてみるに、正月元旦の日の夜は、家中みんな灯りをつける前に早く寝てしまうことになっている。その時、子どもたちが(もっと起きていたいので)文句を言うと、

「それならでかネズミさまに親しくなってもらうことになるぞ」

と脅すことになっている。

即以此也。

即ちこれを以てなり。

それは、この事件に基づいているのである。

のだそうです。

おしまい。

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「履園叢話」十六「華氏精怪」より。張真人さまがおられなかったらどうなったか、と思いますが、タラレバは禁句です。このときは主人に気づかれてしまってわしらは退治されてしまったのですが、しかしゲンダイの日本では張真人さまのご威光も届かぬはず。我ら闇の一族の力を見せるときが来た・・・りしないかなあ。

 

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