うまくネコをおびき出した満足感に浸りながら、その間に安全に報酬としてのチーズを掠め取れると、福禄寿のそろった豊かな鼠生が送れる。
洞穴の中、ニンゲン関係などあまり複雑にならずに暮らしていますので、原則としてシアワセです。
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福禄寿、 福禄寿、
福禄寿、 福禄寿、
三者吾全有。 三者吾すべて有り。
幸福と高禄と長寿、
三つのものをわしはすべて持っているぞ。
試問君勝人間否。 試問す、君、人間(じんかん)に勝るあるや否や。
ちょっと訊いてみますが、おまえさん、人生においてこれら以上のものはあるだろうか。
無いはずである。
わしは持っているのだ。次のような幸福と高禄と長寿を。
人間之清福、 人間(じんかん)の清福、
書巻不釈手。 書巻、手に釈かざるなり。
人生における清らかな幸福、それは
書物を手から離さないでいられる読書の楽しみじゃ。
人間之美禄、 人間の美禄、
尊中盈旨酒。 尊中に旨酒盈つるなり。
人生におけるすばらしい報酬、それは
さかずきになみなみと満たされたうま酒を飲むことじゃ。
人間之上寿、 人間の上寿、
無事静坐久。 事無く静坐久しきなり。
人生における最高の長寿、それは
心にかかる事何も無く、静かにじっと座っていられる時間を長く持つことじゃ。
この三者、肝冷斎もそこそこ持っていますが、みなさんはどうかな?
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清・兪樾編「東瀛詩選」巻十より松本愚山「題福禄寿画」(「福禄寿の画に題す」)。愚山・松本才次郎は名・慎、字・君厚、宝暦五年(1755)平安(京都)の生まれ、皆川淇園に学び、大坂で教授するという。天保五年(1834)没。数え八十歳なので確かに長寿ですね。「愚山詩稿」「文稿」があるほか、五経を講じた経学者であった。
兪樾の評して曰う、
詩亦清雅可誦。
詩また清雅にして誦すべし。
彼の(生活はもちろん)詩も、清々しくかつ洗練されていて、口ずさむのによろしい。
と。