伝説のぶた漁師だ。この漁獲物を炭水化物と交換して生きているのである。(本文↓に出るブタをエサにする残虐な漁師とは関係ありません。と思います)
洞穴の中からそちら(現世)を覗いているといろいろオモシロくて、時には「ぷぷっ」と吹きだしたりするようなこともあるんです。
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元の終わりから明の初めにかけてのころのことですが、金陵(南京)の近くで、
江岸常崩。
江岸常に崩る。
長江の岩壁が、ある場所で毎年崩壊するのであった。
その理由は、
猪婆龍於下捜抉故也。
猪婆龍(ちょばりゅう)の下に捜抉する故なり。
「猪(ちょ)ばばあ」と呼ばれる竜がその淵の下に潜んでいて、そいつが岩壁の中の何かを探そうとして水中で岩を抉り取るので崩れるのだ。
と、言われておりました。
しかし、これが明の時代になると困ってしまった。「猪」(ちょ)と、明の皇帝の姓(「国姓」といいます)の「朱」(しゅ)の発音が似ているので、「ちょばばあ」というと、「朱」家のばばあを罵っているのと同じに聞こえてしまう。
以其与国同音、嫁禍於黿。
その国と同音なるを以て、黿(げん)に禍を嫁す。
「ちょ」が明の国姓と同じ音であることから、猪婆龍のせいに出来なくなって、底に潜んでいる巨大な「黿」(すっぽん)のせいだ、ということになったのである。
朝廷又以与元同音、下旨令捕尽。
朝廷また「元」と同音なるを以て、下旨して捕尽せしむ。
南京にある政府でも、「黿」が前の帝国である「元」と同じ音であるので、非常に都合がいいので「悪い黿(ゲン)を取り尽してしまえ」とご命令を出した。
・・・何か変な気がしますと思いますが、そんなことを言うと明帝国では生きていけませんので言わないことにしましょう。
それですっぽんをたくさん捕ったのですが、巨大なのは捕れない。そして、
岸崩如故。
岸崩るること故の如し。
やはり岩壁は毎年崩れるのであった。
困っているところに一人の老漁師がやってきた。
老漁師はみなが困っているのを聞いて、
当以炙猪為餌、以釣之。
まさに炙猪を以て餌と為して、以てこれを釣るべし。
「ブタを一頭丸焼きにして、これをエサにして釣り上げることですな」
と教えて、どこかに行ってしまった。
そこで言われたとおりにしたところ、何やらでかいのがかかったのですが、
力不能起。
力起こすあたわず。
みんなで釣り上げようとしてもあまりに引きが強くて釣り上げられなかった。
そうこうしているうちに、
―――ぶちん。
と、エサのブタをつないでいた縄が切れてしまって失敗した。
「どうすればいいのだ」
と悩んでいると、また老漁師がやって来て、
四足爬土石為力。以甕通其底、貫釣緡而下之、甕罩其項、必用前二足推拒。従而幷力掣之、則足浮而起矣。
四足にて土石を爬して力を為せり。甕を以てその底を通じ、緡を貫釣してこれを下し、甕にてその項を罩(こ)むれば、必ず前二足を用いて推拒せん。従いて力を幷せてこれを掣すれば、すなわち足浮かびて起こせしめん。
「やつに四本の足で底の土石をつかませて、その力を発揮させてしまっているからじゃな。まず大きな甕を一つ用意しなされ。その甕の底を抜いて、釣り糸を通し、その先に丸焼きのブタをつないで水中に下ろすことじゃ。そうすれば、やつはブタを喰おうとして甕の中に頭を突っ込んできて、必ず前足二本で甕を押しのけようとするじゃろう。(後ろ足二本だけで水底をつかむことになるから)そこでみなで力を合わせて引き上げれば、やつは足が浮き上がって、釣り上げることができるはずじゃ」
と教えてくれました。
已而果然。
すでにして果たして然り。
やってみたところ、そのとおりになった。
「わーい、巨大すっぽんをつかまえたぞ」
とよくよく見たら、
衆曰、此鼈也。
衆曰く、「これ鼈(べつ)なり」と。
みんなは言った。「これはワニではありませんか」
悪さをしていたのは、巨大すっぽん=「悪いゲン」では無かったんです。
これは政治的にマズイかもわからんぞ。
老漁師は言った。
鼈之大者能食人、即世之所謂猪婆龍。
鼈の大なるものはよく人を食らう、即ち世のいわゆる「猪婆龍」なり。
「ワニの巨大なやつは人間を食うんじゃ。それを世間では「猪ばばあの龍」と呼んできたんじゃよ」
ああ、やはり政治的にマズイ。このじじいは政治の変化を認識せずに前時代以来の価値観で動いているのだ・・・とみんな心配したかも知れませんが、じじいは言った、
汝等可告天子、江岸可成也。
なんじら、天子に告ぐべし、江岸成すべきなり、と。
「おまえたちは明の天子に申し上げるがよい。長江の岸を修復する時期が来た(、もう修復しても崩すものはいない)と」
「あなたさまのお名前は?」
曰、晏姓。倏爾不見。
曰く、「晏姓なり」と。倏爾(しゅくじ)として見えず。
老漁師は「晏という姓じゃ」と答えたなり、ふっと姿を消してしまった。
このことを皇帝に報告したところ、明の太祖皇帝(在位1368〜98)は、
悟曰、昔救我於覆舟、云為晏公。
悟りて曰く、昔我を覆舟に救える、云いて晏公と為せり、と。
何かにお気づきになられたように「あ!」と声を挙げて、そしておっしゃった。
「わしはまだ若いころ、乗っていた舟が転覆して、九死に一生を得たことがある。そのとき助けてくれた船頭の名前が、確か「晏なんとか」さまだったんじゃ!」
その人がまた現れたのだ。
ということになって、「猪ばばあ」が政治的にマズイかどうかはもう問題にならず、
遂封其為神霄玉府晏公都督大元帥。命有司祀之。
遂にそれを封じて神霄玉府晏公都督大元帥と為し、有司に命じてこれを祀らしめたり。
とうとうその行方不明の老漁師を「神秘な空の玉の役所におられる都督大元帥・晏公」という神さまに任命され、役人に毎年、祭祀を行わせることにした。
のであった。
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明・郎瑛「七修類稿」巻十二より。「政治とはコトバの芸術である」というテーゼが、見事に具現化されたいい話だなあ。
今このときもみなさん、そちら(現世)で同じようなことしてるんですよー。今日も「(東シナ海側の)じゅごんが死んだ、(太平洋側の)環境ガー」と叫んでいるのが聞こえてきます。そちらにいて「ちょ、はまずいぞ」「ゲンをやっつけないとなあ」とわいわい言い合っていると、その不自然さになかなかお気づきにはなりませんのでしょうけど。