修験者の能力を尽くした祈祷を行っても、まったくやる気を感じないモグだ。あまりにも強い「やる気無し呪い」がかかっているのであろう。これでは下記のうち一徳目もムリかも知れませんが、みなさんはやる気があるからもっと身に付けてくださいね。
あしたも休みなので、今日は自信を取り戻してきました。何しろおいらは岡本全勝さん(3月15日付)に羨ましがられているほどですからね。
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自信を取り戻したので、みなさんに説教してやりますぞ。
春秋時代、晋の公族に姫周というひとがいました。晋の国の政情が穏やかでないので、周の国にやってきて、周王の重臣で賢者と評判の単襄公(ぜんじょうこう)のところに世話になっていた。
やがて、単襄公は病気になった。
自分の息子(単頃公と呼ばれて、これも賢臣といわれます)を枕もとに呼んで言うには、
必善晋周、将得晋国。
必ず晋周に善くせよ、まさに晋国を得ん。
「わしの死後、おまえは必ず、晋から来た姫周どのを優遇せよ。あの方はいずれ晋国の支配者となる方じゃ」
「今の晋公とはさして近い血縁では無いと承っておりますが・・・」
「いやいや、あの方は・・・、
立無跛、 立つに跛すること無く、
視無還、 視るに還(せん)すること無く、
聴無聳、 聴くに聳(そばだ)つ無く、
言無遠。 言うに遠きこと無し。
立っているときには、どちらかに傾くということがない。
物を横目で見て、また前を見るということがない(視線はいつも前を見ている)。
人が何かを話しているのを、耳をそばだてて聞くということはなさらない。
そして、自分で見聞きしていないことをコトバにされることがない。
さらに、
言敬必及天、 敬を言いては必ず天に及び、
言忠必及意、 忠を言いては必ず意に及び、
言信必及身、 信を言いては必ず身に及び、
言仁必及人、 仁を言いては必ず人に及び、
言義必及利、 義を言いては必ず利に及び、
言知必及事、 知を言いては必ず事に及び、
言勇必及制、 勇を言いては必ず制に及び、
言教必及弁、 教を言いては必ず弁に及び、
言孝必及神、 孝を言いては必ず神に及び、
言恵必及龢、 恵を言いては必ず龢(わ)に及び、
言譲必及敵。 譲を言いては必ず敵に及ぶ。
敬について語るときは、つねに、最も敬うべきものは(地上の権威ではなく、)天であることを忘れることがない。
忠について語るときは、つねに、抽象的な概念ではなく、自分のキモチについて語るべきであることを忘れることがない。
信について語るときは、つねに、他者の批評をするのではなく、自分自身が信じてもらえるかどうかが重要であることを忘れることがない。
仁について語るときは、つねに、一般論ではなく、具体的な誰かに仁愛を及ぼすべきであることを忘れることがない。
義について語るときは、つねに、人を攻撃するのでなく、人の利益のために語るべきであることを忘れることがない。
知について語るときは、つねに、具体的な事件を処理することを念頭に語るべきであることを忘れることがない。
勇について語るときは、つねに、それが仁や義によって制御されていなければいけないことを忘れることがない。
教について語るときは、つねに、人に善悪や正邪を弁別して教えなければならないことを忘れることがない。
孝について語るときは、つねに、神霊が現実に存在して子孫の行動を見ているのだということを忘れることがない。
恵について語るときは、つねに、自己満足ではなく、和睦をもたらすために行う行為なのだということを忘れることがない。
譲について語るときは、つねに、同等(敵=適)の相手に対してこそ謙譲しなければならないのだということを忘れることがない。
すなわち、
此十一者夫子皆有焉。
この十一者、夫子みな有せり。
この「敬〜譲」の十一の徳目を、あの方はすべてよく身に付けておられるのだ。
そしてよくよく観察していると、
晋国有憂未嘗不戚、有慶未嘗不怡。
晋国に憂い有ればいまだかつて戚せずんばあらず、慶び有ればいまだかつて怡(よろこ)ばずんばあらざるなり。
生まれ故郷の晋の国で悪いことがあったというニュースを聞けば、必ず心配そうにしている。よいことがあったというニュースを聞けば、うれしそうにしておられるぞ。
非国何取。
国にあらずして何をか取らん。
ひとつの国を支配されるのでなければ何を支配されるのだ?(国を支配されるお方であることは明らかであろう)」
後、姫周は晋国に帰り即位した。晋の悼公(在位前572〜前558)がそのひとである。
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「国語」巻三周語下より。みなさんもがんばって一つ二つの徳目は身に付けなさるのじゃぞ。そうすれば国はムリでも何かは支配できるでしょう。隠棲先の洞穴とか。