平成31年3月1日(金)  目次へ  前回に戻る

「やっと週末でぴょん」「また来週が来ると思うとやる気がないのでぴょん」と意見は二つに分かれる。

三月になりました。週末なのでめでたいが、来週もまたシゴトがあるので目出度さも半分ぐらいである。

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五代十国の乱世のころ、浙江・呉興で

羅捕者得一鳶、紫翠色俊鷙可喜。

羅捕者一鳶を得るに、紫翠色にして俊鷙喜ぶべきなり。

網で鳥を捕る猟師が一羽のトビを捕まえた。青紫色ですばやく獰猛な、かっこいいやつである。

「これはすばらしいだぞ」

田舎者の朱神佐という男、

以謂銭俶初即位、此是珍祥献之必推賞典。

以謂(おも)えらく、「銭俶初めて即位す、これこの珍祥これを献ずれば必ず賞典に推されん」と。

「ちょうど銭俶さまがご即位なすったばかりだからな。こんな珍しい祥瑞をご献上すれば、必ずご褒美がもらえるはずだぞ」と考えた。

「銭俶」とは、十国の一である呉越国の支配者である呉越王・銭弘俶のことで、彼の即位は後漢の乾佑元年(948)である。

朱神佐は、

即重価償羅者、携諸杭。

即ち重価にて羅者に償い、これを杭に携う。

すぐさま莫大な金額を猟師に支払ってこの鳶を買い取り、それを持って(呉越国の)杭州に向かった。

杭州では各方面で

「これは目出度そうなやつじゃ」

と評価され、献上する手はずになったのだが、ところが―――

将献鳶無故而殞。

まさに鳶を献ぜんとして、故無くして殞せり。

この鳶を献上しようとする手続きを開始したところで、鳶は突然死んでしまったのである。

滑稽者多以半端之言、嘲神佐。

滑稽者、多く「半瑞」の言を以て、神佐を嘲す。

お笑い芸人たちは、みな(瑞祥になる前に死んでしまったので)「半分までは目出度かったのにぃ」と朱神佐を笑いのタネにしたものである。

わははは。

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「清異録」巻二より。ああ、われらに、半分ではなくて本当に目出度い日が来るのはいつのことだろうか。

 

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