平成31年1月29日(火)  目次へ  前回に戻る

水中にはこのような剛の者たちが多数蠢いており、網で捕らえようとしても困難かも知れない。

寒いし、しかもまだ火曜日。洞穴の中で冬眠中だからよいようなものの、会社に行ってたころならもう絶望的になっていたにちがいない。冬眠するようになって楽になったなあ。

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それにしても、楽をしていい目をみたいものです。

葉っぱを一枚一枚引っ張っている人がいました。

「何をしてるんですか」

と訊ねると、

「木を揺らして、鳥を驚かせて飛び立たせようとしているんじゃ」

というのである。

揺木者、一一摂其葉、則労而不徧。

木を揺るがさんとする者、一一その葉を摂(も)てば、すなわち労にして徧(あまね)からず。

木を揺らそうとするひとが、その葉を一枚一枚持って引っ張っても、疲れるばかりで全体に揺れるわけではありません。

「それではダメですよ」

左右拊其本、而葉徧揺也。

左右よりその本を拊(う)てば、葉は徧(あまね)く揺るるなり。

その幹を左右に強くたたけば、全部の葉が揺れ動くものである。

「そうじゃったか」

そのとおりにしたら、木は揺れ、鳥は驚いて飛び立ってしまった。

臨淵而揺木、鳥驚而高、魚恐而下。

淵に臨みて木を揺らせば、鳥は驚きて高く、魚は恐れて下る。

淵のかたわらの木を揺らせば、鳥は驚いて高く飛んでしまうし、魚は恐れて淵深く沈んでしまうものである。

「しまった。網を仕掛けてから鳥を飛び立たせ、魚を移動させようと考えていたのに、網を仕掛けるのを忘れておった」

「それは失敗しましたね。それでは次はちゃんと網を掛けてから木を揺らしましょう」

そこで網を張りました。

「よし、それではわしはこの網の目を一つ一つ持って獲物を捕まえるから、おまえは木を揺らしてくれ」

「はあ。なんで網の目を一つ一つ引っ張るんですか」

善張網者引其綱。若一一摂万目而後得、則是労而難。

善く網を張る者はその綱を引く。もし一一万目を摂りて後に得ば、すなわちこれ労にして難きなり。

ふつう網を使うひとは、網を張って一本の綱でその口を締めるようにするものである。もし網の目を一つ一つ持って引っ張って、そこで獲物を獲ろうとするなら、疲れるばかりで獲るのは至難のわざであろう。

ちゃんと綱を使えば、

引其綱而魚已嚢矣。

その綱を引けば魚はすでに嚢(ふくろ)さるるなり。

その綱を引けば、魚はもう網の中に包み込まれているわけである。

なるほどなあ。楽をする方法はあるんだなあ。

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「韓非子」巻十四「外儲説右下」より。勉強になりました。葉を一枚一枚引っ張ったり網の目を一つ一つ持って魚を捕ろうとしてはダメです。

実はこれは

吏者民之本綱者也。故聖人治吏不治民。

吏なる者は民の本綱なるものなり。故に聖人は吏を治めて民を治めず。

役人というのは、人民(を捕まえる網の)口を締める綱に当たるものなのだ。それゆえに賢君は役人(という綱)を管理はするが、人民(という一つ一つの網の目)は管理

しないのである。

という命題の「説明」として挙げられている譬喩なんです。役人がそんなに役に立つものならいいのですが・・・。

今日はなんと岡本全勝さんに300万キリ番ゲットの証拠画像を送ろうとして若いものに相談したら、若いものがいじっているうちに

「あれ、すみません、更新してしまいましたよ」

と、大事な300万画像を消してしまいました。絶望である。立春も近いので冬眠中の洞穴の入り口近くまで来ていたのですが、これでまたイヤになって、洞穴の奥の方のクマより隅っこに引っ込むことにしました。三月になってから出て行きます。

 

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