何か知らんが語り合う哲人ブタトンとモグラテスである。たいへん高遠な会話であろう。
古代ギリシアは暖かいので布切れみたいなの一枚巻き付けておけばよかったんで服には困らなかったようですが、日本の冬は寒い。服に新聞紙など詰めて暖かくしないと風邪をひいてしまいます。そういえば、世俗社会ではインフルエンザが流行っているみたいです。わしは罹りませんが・・・。
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宋の時代、四川に一人の道人(僧侶)がいまして、市場に「自然羹」(おのずからスープ)というものを売りにきた。
人試貢之、盤中二魚鱗鬣腸胃皆在。鱗上有紋如一円月、汁如淡水。
人試みにこれに貢するに、盤中の二魚、鱗・鬣・腸・胃みな在り。鱗上紋の一円月の如き有りて、汁は淡水の如し。
あるひとが試みに注文してみると、大きな皿に二匹の魚が入っていて、その魚にはウロコも背びれも腸も胃もある。魚のウロコには黒い丸い月のような模様が入っていて、汁は水のように無色であった。
「坊主のくせに生臭を売るのじゃな」
と言われても、僧侶はニヤニヤ笑いながら、スープを椀に取り分けてくれた。
「こうやって食らうのじゃ」
と教えられるままに、
食者旋剔去鱗腸、其味香美。
食者鱗腸を旋して剔去するに、その味香、美なり。
食べる者は(箸で)浮いている魚のウロコと腸をぐるりと抉り取って、食べる。まことに美味で、また香りもよいのであった。
「これは美味い!」
というので、次々とお客が来て、注文した。
やがてそのうちの一人が、ふと、
魚上何故有月。
魚上何故に月有るや。
「ところで、この魚にはどうして月のような模様があるのだね?」
と質問したところ、その途端―――、
わはははははははははははは・・・・
僧侶は大笑いし出した。そして、
従盤中傾出、皆茘枝仁。
盤中より傾出するに、みな茘枝の仁なり。
大皿を傾けて中身を注ぎ出した。すると、なんと、出てきたものはすべてライチ―の実のタネだったのだ。
初未嘗有魚幷汁。
初めよりいまだ嘗て魚と幷せて汁有らず。
最初から、魚も汁も無かったのである。
みんな驚いていると、
わはははははははははははは・・・・
笑而急走、回顧云蓬莱月也。
笑いて急走し、回顧して云うに、「蓬莱月なり」と。
僧侶は大笑いしながらすごい勢いで走り出し、一度こちらを向いて「仙界にある蓬莱島の月じゃよ!」と叫んだが、またすごい勢いで逃げ去ってしまった。
「な、なんだったんだ・・・」
残されたひとびとは茫然とするしかなかった。
ところで、そのときは誰も気づかなかったのだが、
明年時疫、食羹人皆免。道人不復再見。
明年の時疫に、羹を食える人はみな免れたり。道人はまた再び見えず。
翌年、流行り病が起こったときに、このスープを飲んだ人は、誰一人病に罹らなかったのである。この僧侶、二度と姿を現わすことは無かった。
じゃじゃーん。
わしは確か当時、このスープを飲んでいるはずなので、インフルエンザなんか大丈夫なのじゃ。
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「清異録」巻四より。いや、だんだん記憶があやふやになってきました。そんなスープ飲んだかなあ。もしかしたらマボロシだったかも。なのでもしかしたらインフルになるかも知れませんが、どうせ社会から身を退いているので人に伝染する心配は無いのである。