平成31年1月24日(木)  目次へ  前回に戻る

高等なる数学を語り合うブタトンとモグラテスだ。あまりの高等さにカッパスも驚愕の表情である。

今日も寒かったようです。ニンゲン社会から離脱し、洞穴の中で、他のドウブツたちとともに本を読んだり冬眠したりして暮らしているわたしには、洞穴の外のことはあまりよくわかりませんが。

・・・・・・・・・・・・・・・・

今日読んだ本によりますと、般若多羅尊者は、

因東印度国王請、祖斎。

ちなみに東印度国王の請いにて、祖、斎す。

あるとき、東インド国の王さまに乞われて法事を行い、お斎(とき)の食事をいただいた。

その時、国王が問うた。

諸人尽転経、唯師為甚不転。

諸人ことごとく転経するに、ただ師のみは甚(なん)のためには転ぜざる。

「ほかのお坊さんたちはみんなお経を心をこめて読んでくださっていました。和尚さまだけはお経を読んではおられなかったようですが、どうしてでしょうか?」

なんと。それは怪しからん。

・・・いやいや、そんなことはありません。

尊者は答えた。

貧道出息不随衆縁、入息不居蘊界、常転如是経百千万億巻。非但一巻両巻。

貧道(ひんどう)は息を出だすに衆縁に随わず、息を入るるに蘊界(うんかい)に居らず、常に是(か)くの如きの経を転ずること百千万億巻なり。ただに一巻両巻にあらざるなり。

「貧乏僧侶のやつがれは、息を吐くときは世界を成り立たしめている因果関係とは無関係に吐き出し、息を吸うときはこの物質世界には存在していないですからなあ。そんな宇宙の範囲を超越したお経を、いつも100巻とか1,000巻とか10,000巻とか100,000巻も読んでいるんです。1巻とか2巻読んでお斎に与かっているひとたちとは違いますのでなあ」

なるほど、そうでしたか。すばらしい。

以上、「五灯会元」巻一より。

十三世紀の日本で、この話をした坊主がいました。

上堂。師挙。

上堂して、師、挙(こ)す。

(僧侶たちが集まっている)正堂の講壇に上られて、お師匠さまが(上記の)お話をされた。

師挙了云、更説道理。

師、挙了して云う、更に道理を説け。

お師匠さまはお話を終えて、言われた。

「これ以上の教えを言ってみろ」

そして、ぎろぎろと弟子たちを見回して、誰も答えないのを確認すると、お部屋にお戻りになられた。

のであった。

・・・・・・・・・・・・・・・

「道元禅師語録」より。道元禅師が宇治の興聖寺にいたころ、四条天皇の嘉禎二年(1236)から寛元二年(1244)に永平寺に移る前の説法だそうです。

ちなみに、般若多羅尊者は、おシャカさまが禅の教えを迦葉尊者に伝えて、迦葉尊者を第一世としたときの第二十七世というお方で、このひとの弟子が、チャイナに禅を伝えたダルマ太師、ということになります。ダルマ太師に教えを伝えた直後、

即於座上起立、舒左右手、各放光明二十七道、五色光耀。

即ち座上に起立し、左右の手を舒(の)ばして、おのおの光明を放つこと二十七道、五色に光耀す。

即座に座席から立ち上がり、左右の手を伸ばした。その手のひらからそれぞれ二十七本の光線を放ち、それぞれの光線が五色に変化しながら輝いた。

おお。

又踊身虚空、高七多羅樹、化火自焚、空中舎利如雨。

また虚空に身を踊らせ、高さ七多羅樹にして化火して自焚し、空中に舎利雨の如かりき。

続いて空に向かって飛び上がった。タラ樹七本分の高さまで上がったところで、自ら火を発して空中で火葬され(火葬し?)、空から遺骨が雨のように降ってきたのであった。

という最期を迎えたひとで、なんだかすごい人だ、ということだけはわかります。タラ樹はヤシ科の常緑高木、高さは約20メートルに達するという。140mの高さまで飛び上がったのです。さすがは東インドだ。

時に、チャイナでは劉宋の孝武帝の大明元年(457)であったという。

 

次へ