平成30年12月16日(日)  目次へ  前回に戻る

さあ、そろそろ山中に行くぞ。ここらへんは危険だからなあ。

昼間は軽くフィールドワーク。明日からまた危険な現世に出勤しなければならないのだなあ。

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唐・憲宗の元和十五年(820)のことでございます。

「よいしょ、よいしょ」

と、杭州の太守・白楽天が秦望山に分け入りました。鳥窠(ちょうか)和尚という方にお会いするためです。

和尚はもと杭州・富陽のひと、九歳で出家、荊州果願寺にて受戒の後、長安に出て経論を修めていたのですが、国一禅師から禅の教えを受けて杭州に帰り、秦望山を見上げて言った。

有長松、枝葉繁茂、盤屈如蓋。

長松有り、枝葉繁茂し、盤屈して蓋の如し。

「大きな松があるな。枝も葉もよく茂り、ぐにゃぐにゃ曲がってまるで笠のようじゃ」

そして、

遂棲止其上。

遂にその上に棲止す。

とうとうその木の上に住んでしまった。

そこで時のひとびと、彼を呼んで

鳥窠禅師(鳥の巣の禅師さま)

と称するようになったのである。

しばらくすると、

有鵲巣於其側、自然馴狎、人亦目為鵲巣和尚。

鵲、その側に巣くう有りて、自然に馴狎し、人また目して鵲巣(じゃくそう)和尚と為せり。

カササギがやってきて、和尚の横に自分の巣を作った。隣同士なのでおのずと和尚に馴れてしまったので、ひとびとは「かささぎの巣くった和尚さま」とも言うようになった。

というすごい人なのです。

ただ一人、会通という弟子がいて、この会通はあるとき、

「おいらは和尚さまのもとを去らせていただきまちゅよ」

と申し出たそうです。

「どこに行く気じゃな?」

会通為法出家、和尚不垂慈誨。今往諸方学仏法去。

会通は法のために出家するも、和尚は慈誨を垂れず。今諸方に往きて仏法を学び去らんとなり。

「おいらは仏法の勉強をしようと思って出家したのに、和尚さまは何も教えてくれないではありませんか。これからあちこちに行って、いろんな人から仏法を学びに行くんでちゅよ」

和尚は言った、

若是仏法、吾此間亦有少許。

もし仏法を是とせば、吾この間また少許有り。

「仏法が学びたいのか。それなら、わしも以前から少々勉強しておるぞ」

如何是和尚仏法。

如何ぞこれ、和尚の仏法ぞ。

「そうでちゅか。和尚さまの仏法はどんなものなんでちゅかな?」

すると、禅師は

於身上拈起布毛吹之。

身上において布毛を拈起してこれを吹けり。

自分の着ている服の布の毛をひねり起こすと、これを「ふっ」と吹いた。

この瞬間、

「あ、なるほど」

通遂領悟玄旨。

会通、玄旨を領悟せり。

会通は奥深い意味を理解したのであった。

―――わけわからん。どういうことだ。

と思うと思いますが、そう書いてあるんだからわかってください。それでも

―――わからん。何か納得させろ。

と言うひとは、仏法の真理はこのように身近にあるではないか、みたいな解釈でもして分かったような気になってください。

・・・というような人のところへ、杭州太守の白楽天がやってきたんです。

白楽天、樹上の和尚を見上げて、

謁師問曰、禅師住処甚危険。

師に謁して問いて曰く「禅師の住処甚だ危険ならん」と。

禅師に拝謁して質問した。「お師匠さまの住んでおられるところは、たいへん危険ではございませんか?」

いつ落ちるかわからないではありませんか。

禅師答えて曰く、

太守危険尤甚。

太守危険なること尤も甚だし。

「太守どののおられるところ(地位)こそ、危険なことこの上ないのではないですかな」

むむむ。

また問いて曰く、

如何是仏法大意。

如何ぞこれ仏法大意。

「仏法の概略はなんだとお考えですか」

答えて曰く、

諸悪莫作、衆善奉行。

諸悪作すなかれ、衆善奉行せよ。

「悪いことをしてはならない。いいことをしなさい」

これはおシャカさまが仏法の基本として、言ったことです。

白楽天言う、

三歳孩児也解恁麼道。

三歳孩児もまた恁麼に道(い)うを解せん。

「三歳のコドモでもそれは言えると思いますよ」

禅師は答えた。

三歳孩児雖道得、八十老人行不得。

三歳孩児、道い得といえども、八十老人行い得ず。

「三歳のコドモでも言えるだろうが、八十歳の老人にもこれをできるやつはおらん」

「なるほど」

白作礼而退。

白、礼を作して退けり。

白楽天は拝礼して、退出した。

退出した、といっても家が無いのですから、木の下から離れた、ということだと思います。

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「五灯会元」巻第二より。和尚は長慶四年(824)二月十日に、侍者に向かって、

吾今報尽。

吾、いま報、尽きたり。

「お、ちょうど今、わしの前世での報いが終わったぞ」

と言ったので、侍者、木を見上げて、

「そうでちゅか、それはよか・・・」

と言ったときには、もう

坐化。

坐化せり。

座ったままで死んでいた。

のだそうでございます。

明日からの平日を前に、我が報もそろそろ尽きるのではないだろうか・・・。

 

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