さあ、そろそろ山中に行くぞ。ここらへんは危険だからなあ。
昼間は軽くフィールドワーク。明日からまた危険な現世に出勤しなければならないのだなあ。
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唐・憲宗の元和十五年(820)のことでございます。
「よいしょ、よいしょ」
と、杭州の太守・白楽天が秦望山に分け入りました。鳥窠(ちょうか)和尚という方にお会いするためです。
和尚はもと杭州・富陽のひと、九歳で出家、荊州果願寺にて受戒の後、長安に出て経論を修めていたのですが、国一禅師から禅の教えを受けて杭州に帰り、秦望山を見上げて言った。
有長松、枝葉繁茂、盤屈如蓋。
長松有り、枝葉繁茂し、盤屈して蓋の如し。
「大きな松があるな。枝も葉もよく茂り、ぐにゃぐにゃ曲がってまるで笠のようじゃ」
そして、
遂棲止其上。
遂にその上に棲止す。
とうとうその木の上に住んでしまった。
そこで時のひとびと、彼を呼んで
鳥窠禅師(鳥の巣の禅師さま)
と称するようになったのである。
しばらくすると、
有鵲巣於其側、自然馴狎、人亦目為鵲巣和尚。
鵲、その側に巣くう有りて、自然に馴狎し、人また目して鵲巣(じゃくそう)和尚と為せり。
カササギがやってきて、和尚の横に自分の巣を作った。隣同士なのでおのずと和尚に馴れてしまったので、ひとびとは「かささぎの巣くった和尚さま」とも言うようになった。
というすごい人なのです。
ただ一人、会通という弟子がいて、この会通はあるとき、
「おいらは和尚さまのもとを去らせていただきまちゅよ」
と申し出たそうです。
「どこに行く気じゃな?」
会通為法出家、和尚不垂慈誨。今往諸方学仏法去。
会通は法のために出家するも、和尚は慈誨を垂れず。今諸方に往きて仏法を学び去らんとなり。
「おいらは仏法の勉強をしようと思って出家したのに、和尚さまは何も教えてくれないではありませんか。これからあちこちに行って、いろんな人から仏法を学びに行くんでちゅよ」
和尚は言った、
若是仏法、吾此間亦有少許。
もし仏法を是とせば、吾この間また少許有り。
「仏法が学びたいのか。それなら、わしも以前から少々勉強しておるぞ」
如何是和尚仏法。
如何ぞこれ、和尚の仏法ぞ。
「そうでちゅか。和尚さまの仏法はどんなものなんでちゅかな?」
すると、禅師は
於身上拈起布毛吹之。
身上において布毛を拈起してこれを吹けり。
自分の着ている服の布の毛をひねり起こすと、これを「ふっ」と吹いた。
この瞬間、
「あ、なるほど」
通遂領悟玄旨。
会通、玄旨を領悟せり。
会通は奥深い意味を理解したのであった。
―――わけわからん。どういうことだ。
と思うと思いますが、そう書いてあるんだからわかってください。それでも
―――わからん。何か納得させろ。
と言うひとは、仏法の真理はこのように身近にあるではないか、みたいな解釈でもして分かったような気になってください。
・・・というような人のところへ、杭州太守の白楽天がやってきたんです。
白楽天、樹上の和尚を見上げて、
謁師問曰、禅師住処甚危険。
師に謁して問いて曰く「禅師の住処甚だ危険ならん」と。
禅師に拝謁して質問した。「お師匠さまの住んでおられるところは、たいへん危険ではございませんか?」
いつ落ちるかわからないではありませんか。
禅師答えて曰く、
太守危険尤甚。
太守危険なること尤も甚だし。
「太守どののおられるところ(地位)こそ、危険なことこの上ないのではないですかな」
むむむ。
また問いて曰く、
如何是仏法大意。
如何ぞこれ仏法大意。
「仏法の概略はなんだとお考えですか」
答えて曰く、
諸悪莫作、衆善奉行。
諸悪作すなかれ、衆善奉行せよ。
「悪いことをしてはならない。いいことをしなさい」
これはおシャカさまが仏法の基本として、言ったことです。
白楽天言う、
三歳孩児也解恁麼道。
三歳孩児もまた恁麼に道(い)うを解せん。
「三歳のコドモでもそれは言えると思いますよ」
禅師は答えた。
三歳孩児雖道得、八十老人行不得。
三歳孩児、道い得といえども、八十老人行い得ず。
「三歳のコドモでも言えるだろうが、八十歳の老人にもこれをできるやつはおらん」
「なるほど」
白作礼而退。
白、礼を作して退けり。
白楽天は拝礼して、退出した。
退出した、といっても家が無いのですから、木の下から離れた、ということだと思います。
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「五灯会元」巻第二より。和尚は長慶四年(824)二月十日に、侍者に向かって、
吾今報尽。
吾、いま報、尽きたり。
「お、ちょうど今、わしの前世での報いが終わったぞ」
と言ったので、侍者、木を見上げて、
「そうでちゅか、それはよか・・・」
と言ったときには、もう
坐化。
坐化せり。
座ったままで死んでいた。
のだそうでございます。
明日からの平日を前に、我が報もそろそろ尽きるのではないだろうか・・・。