平成30年12月2日(日)  目次へ  前回に戻る

ガジガジ。ぶたを攻撃する三葉虫だ。だがぶたには感情はなく、かじられたり怒鳴られたりしても、もうどうでもいいのであろう。

今日は有意義であったが、明日からまた平日。デクでさえ「会社に行け」というと「イヤダ」と嫌がる始末であるので、明日はデク以下の「デコイ肝冷斎」を出社させるつもりだ。こいつは本当に何もできません。怒鳴られても俯いているばかりで、災厄除けになるかどうか・・・。

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西晋が滅びた後、元帝を助けて東晋の創業に尽くした丞相・王導大将軍・王敦はいとこ同士(王敦が一歳だけ年上)であります。

あるとき、丞相・王導が、

令郭璞試作一卦。

郭璞をして試みに一卦を作さしむ。

郭璞(かくはく)は「荘子」などに注釈を作った老荘思想家で、当時の草創期の道教にも深く関与し、未来予測の術としての「易」断の名人でもあった。

易の名人・郭璞に、(深い問題意識は無く、)ちょっと試しに卦を立ててもらったことがあった。

すると、

卦成、郭璞意色甚悪。

卦成るに、郭璞の意色はなはだ悪し。

卦が出来上がると、郭璞は落ち込んでしまい、顔色もたいへん悪くなってしまった。

「どうしたのじゃ?」

「むむ、それが・・・」

郭璞が言うには、

公有震厄。

公には震の厄有り。

「どうもあなたには、震の卦に象徴される災厄が起こるようでござる」

「なんと!」

「震」といえば「カミナリ」の象である。

王導は訊ねた。

有可消伏理不。

消伏すべきの理有りやいなや。

「その災厄を避ける方法は無いものかな?」

郭璞はまた卦をいじくっていたが、やがて言うに、

命駕西出数里、得一柏樹。截断如公長、置牀上常寝処、災可消矣。

駕を命じて西出すること数里に、一柏樹を得ん。截断すること公の長さの如くにして、牀上の常寝処に置かば、災い消すべきなり。

「馬車を命じて西の方にお出かけください。数キロ行きますと、柏の木があるはずです。その木を伐って、あなたの背丈と同じ長さにし、それをベッドの上、いつも寝ておられるところに置けば、災厄を避けることができましょう」

「なるほど」

王、従其語。

王、その語に従えり。

王導はそのコトバに従った。

そして―――、

数日中、果震、柏粉砕。

数日中、果たして震ありて、柏粉砕さる。

数日後、やはり落雷があり、王の寝所に落ちて、柏の木が粉々になった。

しかし、王導はベッドを変えていたので無事であった。柏の木がデコイ(おとり)になって、雷神はそちらを攻撃してしまったのである。

子弟皆称慶。

子弟みな慶を称す。

親族の者たちはみな「ようございましたなあ」とよろこびを述べた。

だが、いとこの大将軍・王敦だけは首をひねって、

君乃復委罪於樹木。

君すなわちまた罪を樹木に委ねたり。

「おまえさんは(落雷を受ける罪があったのに、)罪を樹木になすりつけてしまっただけではないか」

と言った。

以上。郭璞はすごいなあ。

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「世説新語」術解二十より。「術解」篇にあるので、本当は郭璞のすばらしい能力を称賛するお話なのですが、王敦の歯に衣着せぬ一言が見事に王導の虚偽意識を突いていて、爽快なキモチになります。すばらしい。

実は度量も大きく能力も傑出していた大将軍・王敦はこのあと謀反を起こして死罪になってしまうんです。一方、小心翼々たる取りまとめ型リーダーの丞相・王導はその危機も乗り越えて、位人臣を極めて天寿を全うした。このお話は、この二人の性格の違いをみごとに色分けた、よくできたエピソードになっているのでございます。

 

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