ガジガジ。三葉虫にかじられて行くモグ。もうおしまいである。そういえば今年も先が少なくなってきておしまいである。
今日も過ぎてしまった。もう今年も12月、年末である。
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1925年ごろに北京近辺で流行っていた「俗語の言い回し」をいくつか教えてあげますよ。
〇正月十五雪打燈、八月十五雲遮月。
正月十五、雪燈を打ち、八月十五、雲月を遮る。
正月十五日の観燈会のときに雪が降ったり、八月十五日の名月の夜に雲が月を隠してしまったり。
「この世のことは、思い通りには行かないのじゃ」ということだそうです。
〇常将有日思無日、莫到無時思有時。
常に有日を将ちて無日を思い、無時に到りて有時を思うことなかれ。
有るときには無くなった時のことを考えておけ。無いときには有る時のことを考えるな。
豊かな時にはガマンして後に残しておき、貧しいときにはそれが当たり前と思えばいいんです。
〇暗室青天、神目如電。
暗室に青天あり、神目は電の如し。
暗い部屋の中でも晴れわたった空のように見えているひとにははっきり見えている。神の目はいなずまのごとく、すべてを一瞬に理解するぞ。
因果応報があるから、善人は栄え、悪人は滅びる(とみんな信じている)のです。
〇長江後浪催前浪、一番新人換旧人。
長江の後浪は前浪を催し、一番の新人、旧人に換わる。
長江の流れの中、後ろの波は前の波を押し出していく。新人が一人出てきたら、むかしのひとは消えていくのだ。
わしもそろそろ消えていかねばなあ。
なお、当時はこうだったらしい。
〇車船店脚牙、無罪就該殺。
車船店脚牙、罪無くしてすなわち殺すに該(あ)たる。
車引き、舟の船頭・船乗り、旅館、飛脚、仲買人、彼らは罪が無くても死罪にしてよい。
いろいろ悪いことをしていたのであろうか。
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「北京俗語児典」(下永憲次篇、大正十五年偕行社刊)を入手しました。下永さんは陸軍大尉で、出版元・偕行社で作られた「児典」なので、もしかしたら軍事目的があったのかも知れません。しかし実際にはあんまり無いと思います。みなさんも勉強しよう。わしも今日は勉強してきたじゃ。