平成30年11月1日(木)  目次へ  前回に戻る

食欲の秋である。「コケ―! いい匂いがするでコケ」「ピヨ」「ピヨ」「ピヨ」とニワトリ軍団だ!「ぶー、ただのみたらし団子なのにヤキトリだと間違われるとマズイでぶー」「モグモグるん」

今日は金曜日、なんとか今週も終わりました。

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今週もいろいろあったなあ、とため息つきながら山中の庵に帰ってくると、ほっとする。

なにしろわしの庵には鐘がありますからね。

山房蓄一鐘、毎于清晨良宵之下、用以節歌、令人朝夕薫心、動念和平。

山房に一鐘を蓄うれば、毎(つね)に清晨・良宵のもとに、用いて以て歌を節し、人をして朝夕に心を薫じ、動念を和平ならしむ。

山中の庵に鐘を一個持っていますので、これを心地よい夕べ、清々しい朝ごとに、ごーん、と鳴らせば、歌の調べは整うし、自分の心を鐘によって感じ入らせ、落ち着きのない思いを和やかに安定させることもできるのじゃ。

この鐘は李なんとかという坊主にもらったんです。

李禿謂有襍念一撃遂忘、有愁思一撞遂掃。

李禿(りとく)謂う、襍念(ざつねん)有れば一撃に遂に忘れ、愁思有れば一撞きに遂に掃う、と。

李なんとかという坊主はこう言った、

いろんな悩みがあっても、こいつを一撃すれば、何も残らず忘れてしまい、

イヤなことがあっても、こいつを一撞きすれば、きれいにさっぱり吹き飛んでしまう。

絶対お得でっせ、と。

知音哉。

知音なるかな。

音の効用をよくわかった坊主であった。

鐘だけではありません。

山居之楽、頗愜冷趣。

山居の楽しきは、頗る冷趣に愜(ここちよ)し。

山中の暮らしは、「冷趣」(世俗の騒がしさを離れようという志向性)に、たいへんうまく適合するんです。

「冷趣」にはさらに「秋・冬の寒い時期の楽しみ」という意味も含んでいると思ってください。

煨落葉爲紅爐。況負暄于岩戸。

落葉を煨(や)きて紅爐と為すなり。いわんや岩戸に暄を負うをや。

落ち葉を焚いて赤々と燃える囲炉裏代わりにするのである。さらには、岩窟の入り口に寄りかかって、暖かな日の光を背中に浴びながらごろごろすることができるのである。

わはは。山中での生活は楽しいなあ。

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「酔古堂剣掃」巻五より。明日はひなたぼっこしてゆっくりしよう・・・と思ったが、なんと、今日はまだ木曜日でした! 残念で涙出てくる。

 

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