平成30年10月17日(水)  目次へ  前回に戻る

温泉という順境に酒酔という順境をさらに重ねると頭の血管などが危険である。そこそこにしておかないと。

では今日は一族の中で、わしが更新いたしましょう。わしは九月の上旬以来の登場ですが、だいたいうまく回っているのだが、オモシロくないこともあるので、今日は説教でもして憂さ晴らしじゃ。

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人生順逆之境、亦難言之。譬如行舟遇逆風、則舎艣上牽、遅遅我行。

人生の順逆の境、またこれを言い難し。譬うるに舟を行(や)るに逆風に遇い、すなわち艣(ろ)を舎(お)きて上牽し、遅遅として我行くが如し。

人生の順調と逆境というのは、なかなか曰く言い難いところがある。譬えを使えば、(逆境は)舟で旅をするときに逆風に会ったときのようなもので、櫓で漕ぐのはあきらめて、岸の上から人夫に縄で引っ張ってもらいながら、ゆっくりゆっくり進んで行くような状態である。

運河とか狭い川ならゆっくりでも進むわけだが、

長江大河、不能施牽者、惟有守風黙坐而已、見順風過去、輒妬之慕之。

長江大河にて牽を施すあたわざるものは、これ風を守りて黙坐する有るのみにして、風に順いて過ぎ去るを見ては、すなわちこれを妬みこれを慕わん。

でかい川で岸から牽き舟をしようがないところでは、もう風の変わるのを待って黙って座っているしかないのであって、そんなとき順風に乗って過ぎ去っていく舟を見たら、妬む心も起これば憧れる心も起こるものである。

ところが、です。

未幾風転則張帆箭行、逍遥乎中流、呼嘯于篷底。而人亦有妬我羨我者。

いまだ幾ばくならずして風転ずればすなわち帆を張りて箭行し、中流に逍遥して、篷底に呼嘯せん。しかれば人また我を妬み我を羨む者有らん。

そんなに経たないうちに風向きが変わたらば、帆をあげて矢のように進み、流れの真ん中に航行して、わたしは船上で気分よく口笛を吹くことになるだろう。そうなると、今度は他人がわたしを見て、妬み、羨望することになるのだ。

そこで、詩を作ってみましたよ。

順逆総憑旗脚転、 順逆はすべて旗脚の転ずるに憑れば、

人生須早得風雲。 人生はすべからく早(つと)に風雲を得べきなり。

 順風・逆風といっても要するにすべて旗指物がどちらに向くか(風向きがどちらか)に依るのだから、

 人生は早いところ風と雲をうまくつかまえてしまうに越したことはない。

順境と逆境はどんどん入れ替わるもので、今うまくいかないからといって絶望することはないのである。

しかるに、

既遇順風、張帆不可太満、満則易于覆舟。

既に順風に遇えば、帆を張ることはなはだしく満なるべからず、満なれば覆舟し易ければなり。

うまく順風に遇ったときに、もちろん帆を張って進むのだが、あまりいっぱいいっぱいに帆を張りすぎてはならない。帆を張りすぎれば、舟が転覆しやすくなるからである。

一旦白浪翻天、号救不応。斯時也、雖欲羨逆風之船、而不可得矣。

一旦、白浪天を翻さば、号救するも応ぜざらん。この時や、逆風の船を羨まんとすれども、得べかざるなり。

いったん、白い波が天をひっくり返し舟を覆したら、たとえ救いを求めて叫んでも誰も対応してはくれないのだ。その時になって、逆風で進まないでいる船を羨ましいと思っても、もうどうしようもないのである。

順風に乗っているときの方が実は危険だ、ということに気づかねばなりませんよ。

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「履園叢話」より。わーい、勉強になるなあ。うまく行ってないときの方がいいみたいなんです。うまく行ってるときは控えめに。人生、転覆しなければ善し、とせねばならん。

 

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