平成30年10月4日(木)  目次へ  前回に戻る

もともとは深海魚とはいえ、陸上や淡水にも適合したアンコウくん。カッパのように川流れすることはありえないだろう。

足腰痛い。冷えてきたから、というより、冷えてきてカロリーが消費されなくなったので太ってきたからである。

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昨日の続きでございますが、僧伽難提が行方知れずとなりましてから十年ぐらい過ぎて、室羅筏城に羅候羅多(らごらた)尊者という方がお見えになった。

尊者が城外の黄金河という川のほとりにまいりまして、

其味殊美、中流復現五仏影。

その味ことに美にして、中流にまた五仏の影を現ず。

その川の水を飲んだところ、ちょっとほかにない美味さである。しかも、川の流れの中に、五人のブッダの姿が見えた。

尊者はつき従っている弟子たちに向かって言った。

此河之源、凡五百里、有聖者。

この河の源、およそ五百里なるに、聖者有り。

「この川はおよそ300キロも遡ったところに水源があるが、そこに聖者がおるようじゃ」

そして、

領諸学衆、泝流而上。

諸学衆を領して、流れを泝(さかの)ぼりて上る。

弟子たちを率いて、その川の流れを遡上していった。

やがて川の水源近くまで来ますと、

「あれじゃ!」

見僧伽難提安座入定。祖与衆伺之、経三七日。

僧伽難提、座して定(じょう)に入る。祖、衆とこれを伺い、三七日を経たり。

僧伽難提が、座って瞑想状態に入っていた。羅候羅多尊者と弟子たちは、その様子を見守ったまま、二十一日を過ごした。

二十一日後、僧伽難提は、

方従定起。

まさに定より起きたり。

ようやく瞑想から目を覚ました。

そこで、羅候羅多尊者が問うた。

汝身定耶、心定耶。

汝、身の定なるか、心の定なるか。

「おまえの瞑想は、肉体の瞑想だったのか、精神の瞑想だったのか?」

僧伽難提、答えて曰く、

身心倶定。

身心ともに定せり。

「肉体も精神も、ともに瞑想しておりました」

尊者曰く、

身心倶定、何有出入。

身心ともに定せば、何ぞ出入有らん。

「肉体も精神も瞑想していたのなら、どうして瞑想から出てきたり入ったりするのか」

「なんと!」

以下、二人が会話して、やがて僧伽難提は羅候羅多尊者の弟子になるのでございますが、細かいことは省略。

難提心意豁然、即求度脱。

難提、心意豁然として、即ち度脱を求む。

ナンディーは、心がからりと割れて、「即座に悟りを得させてほしい」と願った。

尊者曰く、

汝心自在、非我所繋。

汝の心自在なり、我が繋ぐところにあらず。

「おまえの心はもともと自由自在じゃ。わしが繋いでいるわけではないぞ」

「な、なんと!! わかってきましたぞ!」

このあとまた奇跡を起こして楽しいのですが、食い物に絡むことですので、またお腹の減ったときにでもお話しいたしましょう。

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「五灯会元」巻一「羅候羅多尊者」より。今日は晩飯にハムエッグ(たまご二個)にさらに納豆+なまたまごを食べてしまう暴挙。コレステロールもたっぷりとれてシアワセなのでもう風呂入って寝ます。

 

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