もともとは深海魚とはいえ、陸上や淡水にも適合したアンコウくん。カッパのように川流れすることはありえないだろう。
足腰痛い。冷えてきたから、というより、冷えてきてカロリーが消費されなくなったので太ってきたからである。
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昨日の続きでございますが、僧伽難提が行方知れずとなりましてから十年ぐらい過ぎて、室羅筏城に羅候羅多(らごらた)尊者という方がお見えになった。
尊者が城外の黄金河という川のほとりにまいりまして、
其味殊美、中流復現五仏影。
その味ことに美にして、中流にまた五仏の影を現ず。
その川の水を飲んだところ、ちょっとほかにない美味さである。しかも、川の流れの中に、五人のブッダの姿が見えた。
尊者はつき従っている弟子たちに向かって言った。
此河之源、凡五百里、有聖者。
この河の源、およそ五百里なるに、聖者有り。
「この川はおよそ300キロも遡ったところに水源があるが、そこに聖者がおるようじゃ」
そして、
領諸学衆、泝流而上。
諸学衆を領して、流れを泝(さかの)ぼりて上る。
弟子たちを率いて、その川の流れを遡上していった。
やがて川の水源近くまで来ますと、
「あれじゃ!」
見僧伽難提安座入定。祖与衆伺之、経三七日。
僧伽難提、座して定(じょう)に入る。祖、衆とこれを伺い、三七日を経たり。
僧伽難提が、座って瞑想状態に入っていた。羅候羅多尊者と弟子たちは、その様子を見守ったまま、二十一日を過ごした。
二十一日後、僧伽難提は、
方従定起。
まさに定より起きたり。
ようやく瞑想から目を覚ました。
そこで、羅候羅多尊者が問うた。
汝身定耶、心定耶。
汝、身の定なるか、心の定なるか。
「おまえの瞑想は、肉体の瞑想だったのか、精神の瞑想だったのか?」
僧伽難提、答えて曰く、
身心倶定。
身心ともに定せり。
「肉体も精神も、ともに瞑想しておりました」
尊者曰く、
身心倶定、何有出入。
身心ともに定せば、何ぞ出入有らん。
「肉体も精神も瞑想していたのなら、どうして瞑想から出てきたり入ったりするのか」
「なんと!」
以下、二人が会話して、やがて僧伽難提は羅候羅多尊者の弟子になるのでございますが、細かいことは省略。
難提心意豁然、即求度脱。
難提、心意豁然として、即ち度脱を求む。
ナンディーは、心がからりと割れて、「即座に悟りを得させてほしい」と願った。
尊者曰く、
汝心自在、非我所繋。
汝の心自在なり、我が繋ぐところにあらず。
「おまえの心はもともと自由自在じゃ。わしが繋いでいるわけではないぞ」
「な、なんと!! わかってきましたぞ!」
このあとまた奇跡を起こして楽しいのですが、食い物に絡むことですので、またお腹の減ったときにでもお話しいたしましょう。
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「五灯会元」巻一「羅候羅多尊者」より。今日は晩飯にハムエッグ(たまご二個)にさらに納豆+なまたまごを食べてしまう暴挙。コレステロールもたっぷりとれてシアワセなのでもう風呂入って寝ます。