「文句があるニャら、おまえたちはハンガーストライキをするといいニャ。魚はオレがいただくニャ!」と悪の限りを尽くすネコであった。
また焼酎お湯割りの薄いの飲んできたので眠い。もうダメだ。おれは。
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紀元前二世紀ぐらいということになるかと思うのですが、室羅筏(しつらばつ。シーラバートゥ)城の宝荘厳王に王子様が生まれましたのじゃ。この王子さま、
生而能言、常讃仏事。
生じてよく言い、常に仏事を讃す。
生まれるやいなやすぐにコトバを話すことができ、いつもブッダのことを称賛していた。
ヘンなコドモですね。
七歳即厭世楽、以偈告其父母、曰、稽首大慈父、和南骨血母、我今欲出家、幸願哀愍故。
七歳にして即ち世楽を厭い、偈を以てその父母に告げて、曰く、「大慈父に稽首し、骨血母に和南す。我いま出家を欲す、幸いに願わくば哀愍の故に」と。
七歳になると、もう世の中の快楽を厭うようになり、父王と母后に向かって詩句を唱えて、その思いを伝えた。
「和南」はサンスクリットの「ヴァンダーナ」の音訳で「礼拝する」の意。
優しいお父上さまに頭を地面にうちつれて礼拝し、
わたしをお産みくださった母上さまに深々と拝礼申し上げまする。
おいらはいますぐ出家したいのです、
どうぞ哀れみ下さ(って、おゆるしをいただけ)れば幸いにございます。
そう言われて父母は驚き、思いとどまるように言った。
すると、王子さまはメシを食わなくなった。ハンガーストライキを始めたんです。
しかたないので、
乃許其在家出家、号僧伽難提。
すなわちその家に在りて出家するを許し、僧伽難提(そうがなんだい)と号す。
王宮に住まったままで出家することを許し、その法名を僧伽難提(サンギャナンディー)と名づけた。
そして、禅利多(ジャーナリッタ)という僧を連れてきて、その師匠になってもらったのである。
―――月日が流れました。
積十九歳、未嘗退倦。毎自念言、身居王宮、胡爲出家。
十九歳を積して、いまだかつて退倦することあらず。つねに自ら念じて言う、「身王宮に居りて、なんぞ出家と為さんや」と。
それから十九年間、一度も修行に退屈したりイヤになったりすることはなく、いつも心の中では、
「現実には王宮の中にいるのだ。どうして出家したといえようか・・・」
と思っていた。
そんなある晩、
天光下属、見一路坦平、不覚徐行。
天光下属し、一路の坦平なるを見、覚えず徐行せり。
天から光が下ってきて、王宮から出て行く平坦な道があらわれたので、思わずその道をゆっくりと歩いて行った。
十里(5〜6キロ)も歩くと、
至大巌前、有石窟焉。乃燕寂于中。
大巌の前に至り、石窟有り。すなわち中に燕寂す。
大きな岩の前に至った。その岩には岩窟があったので、王子はその中でゆったりと世俗から離れた生活をすることにした。
よかったですね。
さて、父王は王子がいなくなったので大いに驚き、
擯禅利多出国、訪尋其子、不知所在。
禅利多を擯して国を出だし、その子を訪尋せしむるも、所在を知らず。
ジャーナリッタを国から追い出して、我が子を探しに行かせたのだが、その所在は杳として知れなかった。
かくのごとくして十年が経過しました。・・・が、焼酎お湯割りで眠いので、続きは明日(以降)とさせてムニャムニャ・・・・・。
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「五灯会元」巻一「僧伽難提尊者」より。立派な王子さまだなあ、ムニャムニャ。