ぶたでさえ驚愕するといわれる、モグ、ナマケモノ、コアラのやる気の無さである。ああしかしそれこそが天の意により近いのかも知れない。
今日は頭痛が出てとにかく眠かった。会議で爆睡。もうダメだ。社会人やっていけない。
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もうダメだから、どうでもいいや。
二儀既開闢、 二儀すでに開闢し、
人乃居其中。 人はすなわちその中に居る。
易の世界では、「天」と「地」を「両儀」、これに「人」をくわえて「三才」といいます。「二儀」は「両儀」と同じで、天と地のこと。
天と地はもう離れてしまったから、
ニンゲンはみなその間に生きているのだ。
天と地は、
迷汝即吐霧、 汝を迷わしむるに即ち霧を吐き、
醒汝即吹風、 汝を醒ましむるに即ち風を吹き、
惜汝即富貴、 汝を惜(いつく)しみては即ち富貴にし、
奪汝即貧窮。 汝を奪いては即ち貧窮にす。
おまえを迷わせるために霧を吐き出したり、
おまえを目覚めさせるために風を吹き起こしたり、
おまえをかわいがって富貴にしてくれたり、
おまえから奪い取って貧窮にしたり、する。
わっはっはー。
碌碌群漢子、 碌碌(ろくろく)たる群漢子、
万事由天公。 万事は天公に由るなり。
「碌碌」(ろくろく)はもとは石が転がっている様子をいい、「ごろごろ」と訳すとぴったりするようです。「漢子」は「おとこ」「野郎」。
そこらにゴロゴロしている野郎ども、
おまえたちは何事もお天道さまのなすがままなのだ。
うーん、すばらしい。そのとおりである。
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「寒山集」より。おいらは、天公の意のままに、石くれのようにゴロゴロし、眠いときには眠る。腹が減ったら食う。だいたいそういう生き方をしているのである。社会がおいらを弾き出そうとするならば、それまでだぜ。うっしっし。